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田代富雄が横浜に帰ってくることが、なぜこんなに嬉しいのか 

文春野球コラム ペナントレース2018

2018/10/15

 田代さんが横浜に帰ってくる――。

 おそらく、筒香あたりは小躍りして喜んでいるだろう。退団して6年が経つ私でさえ嬉しいのだから。

 長かった。8年である。ようやく、大切にしていた宝物を返してもらった気分だ。2015年、シーズン途中に楽天を退団するというニュースは、球界に大きな衝撃が走った。当時、世の中は退団した理由を調べることに躍起になっていたが、そんなことより、「これで来年には横浜に帰ってくる!」という期待を抱かずにはいられなかった。しかし、田代さんは帰ってこなかった。

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 横浜に愛がないわけがない。それでも、「横浜に帰って来たい」と自分から言うようなことは間違えてもない。求められたところに行って自分の仕事をする。求められなかったらユニフォームを脱いで好きなラーメンでも作りゃいい。何かあれば「俺は、難しいことはよくわかんねえからよ」と煙に巻く。どこかいつも背中に哀愁が漂う、田代さんはそういう男だった。

「おい! お前はホント気が利かねえなぁ」

「サッポロビールを置いてない店には基本的に入らない」とこだわって見せたかと思うと、2009年に一軍の監督になった際はいつも「胃が痛い」と嘆き、横須賀の寮に泊まる時には、「あそこはお化けが出るから泊まりたくねえんだ」と人一倍怖がる繊細な一面もあった。

 決して群れず、誰にもなびかず、常に男として恥ずかしくない行動をとる。それでも、寮で一人晩酌をしている前を通ると、決まって横に座らされた。

「おい! お前はホント気が利かねえなぁ。グラスが空だろう」

 空のグラスでテーブルをコンコンと鳴らしながら、顔はどこか嬉しそうだ。目線の先には、テレビに流れる一軍の試合。打席に立つのは愛弟子である村田修一。

 飲むのは決まって二階堂の緑茶割り。満タンに氷を入れたグラスに二階堂を3分の1ほど入れる。ここで一度グラスをよく回し、温度を下げた後に緑茶を入れるのがポイントだ。

「おっ、お前、よく分かってんな〜」

 と言って気分よく飲み始める。そりゃそうだ、昨日も一昨日も入れてるんだから。

「まぁお前、そこに座れ」

大切なことは、お酒の力を借りて伝えてくる

 横に座り、同じ方を見つめながら無言の時間は過ぎていく。村田さんの三振は、かろうじて沈黙を阻止していた応援団のラッパの音を消す。氷を鳴らして、大きくグラスを傾ける。

「お前、最近握力が弱ってるだろ」

 ドキッ。あまりに突然で、声が出ない。実は、最近トレーニングをさぼっている。そんなことまで見られてるのか、と必死に言い訳を考える。

「バカッ! 肩揉めって言ってんだ。お前はホントに鈍いなあ」

「握力を鍛えろ」は、「肩を揉め」の隠語。首の横に、ボールが入っているのかと思うくらい硬いコブが2つある。「お前がエラーばっかりするから、そりゃ肩も凝るだろう」と嘯くが、その硬さが二軍監督という仕事の難しさを物語っている。テレビの向こうの吉村裕基が、2球目をファールにする。

「ちょっと、遅いんだよなぁ」

「ヨシさん、最近調子悪いみたいですもんね」

「いや、お前の今日の2打席目だ。あのセンターフライ、ちょっと遅いんだ。いいか、タイミングっていうのは、ピッチャーにお前が合わせるんじゃない。お前のタイミングの中に、ピッチャーが入って来るんだ。お前は準備が遅いから、いつもピッチャーに間合いを取られるんだ」

 快音とともに、吉村さんのバットが宙を舞う。弾丸ライナーがレフトスタンドに消えていく。大歓声の中で何度も流れる吉村さんのリプレイ映像を見ながら、酔いは一層深くなっていく。

「お前、早くバット振って今日は寝ろ。明日も試合だ」

 大切なことは、お酒の力を借りて伝えてくる。その伝え方が妙にあたたかくて心地よい。見ていないようで、いつも見てくれている。田代さんの下でプレーをする選手は、いつもそんな深い愛の中にいるのだ。

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