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ロッテ・根元俊一と羞恥心・野久保直樹 刺激しあった2人の特別な関係

文春野球コラム ペナントレース2018

2018/10/14

 ライトスタンド前で立ち止まると、ずっと耳を澄ませた。スタンドのファンは引退をする根元俊一内野手の応援歌を歌い続けていた。こんなにスタンドから近い距離で自身の応援歌に耳を傾けるのは初めての事だ。しみじみと聞き入る根元の背中を見つめながら私の脳裏には彼との思い出が蘇っていた。

10月7日、引退試合後にスタンドに駆け寄る根元俊一 ©梶原紀章

「ファインディング・ネモ」と「羞恥心」

 色々な思い出がある。一年目の06年。山形で行われたファーム日本選手権を終えると一軍から急きょ招集がかかり、一緒にタクシーを飛ばし、仙台まで移動したこと。広報として彼を売り出すため有名なアニメ映画「ファインディング・ニモ」をもじって「ファインディング・ネモ」と名付けたもののファンの間ではまったく定着しなかったこと(今でも根元からは笑い話としてイジられる)。でも私にとって根元といえば「羞恥心(しゅうちしん)」なのだ。08年、根元が打席に入る時、「羞恥心」の曲が流れていた。つるの剛士さん、上地雄輔さん、野久保直樹さんの男性3人からなるユニットが歌う曲で当時、若い世代を中心に大人気の曲だった。

 根元はグループの一人、野久保さんと食事を供にしたりするなど交遊があった。その前年3月に私が野球本を取り扱う出版社に「これから出てくる選手が同じくこれからブレイクしそうな異業種の方と対談をすれば面白いのではないか」と提案したのがキッカケで対談が実現し、意気投合。その後、携帯で頻繁に連絡を取り合うなど、プライベートな付き合いを続けていた。

 野久保さんは中学校時代に野球のシニアリーグで全国準優勝。静岡・興誠高校でも野球部に所属し高校通算23本塁打とドラフト候補として名前が挙がったことがあるほどの選手だった。取材でたまたま対談した2人だが、野球という共通の話題があったことと、当時、お互いが一流の舞台へ駆け上がろうと歯を食いしばっていた時期であったことから分野は違えど、大きな刺激を受け合う姿は微笑ましく、私の記憶にハッキリと残っている。

 根元3年目の08年。野久保さんらは4月9日に発売したデビューシングル「羞恥心」がオリコン初登場で2位をマークするなど大ブレイクした。

「テレビをつければ、野久保さんが出演しているという近況でした」

 野久保さんが活躍をしている姿をテレビで見ては刺激を受けていた根元はこの年、110試合に出場。打率.296と一軍定着のキッカケを掴んだ。甘い球を絶対に見逃さないという強い気持ちで打席に入ることで積極的な打撃が出来るようになった。また、元来、打てないと悩むタイプだったが、「結果はヒットか凡退しかない。ならば悩まず打とう」という究極の開き直り思考がプラスに働いた。