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政治家一族の「プリンス」中曽根康隆は沈黙する小泉進次郎をどう見たか

小泉進次郎は変節したのか? 連続インタビュー #2

2018/10/11
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覚えてもらえるのはありがたい

――「中曽根の孫」というブランドの存在は、政治活動を行う上でやはり大きいですか。

中曽根 大きいですよ、良くも悪くも。人は「中曽根康隆」の名刺を見て、「中曽根」という名字だけ見ますから。まずそこで注目して、覚えてもらえるのはありがたい。もし、中曽根以外の名字だったら、そうはならないでしょう。

©文藝春秋

 今の段階では「中曽根」のおかげで、こういう取材もそうだし、色々な国の大使が会いたいというオファーをくれたり、地元の群馬に行っても「比例単独選出」という立場なのにみなさんが笑顔で握手してくれたり、他の人より勉強や成長の機会を多くもらえているというのはありますね。一方で、逆に中曽根という名前のおかげで、初めから「嫌い」と言われることもたくさんあります。

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 メリット、デメリット、両方あります。問題は、それをどう自分で使うかなんです。使い方を間違えれば、必要以上に落ちていくし、うまく使えば、必要以上に注目される。結局は、「中曽根」ではなく、「康隆」次第、自分次第なんです。

――最近、あるネットニュースで中曽根さんのインタビューが掲載された際、記事の大見出しが「中曽根康隆」ではなく、「中曽根康“弘”」と、祖父の名前を誤って書かれた状態で配信されたこともありましたね。

中曽根 あれは象徴していますよ。言ってみれば今の私はその程度なんです。私が注目されているわけではなくて、私の外側、つまり、「中曽根」という名字のおかげで、インタビューをしていただけている。あれで、引き締まりました。だから「七光り」といわれるのは、しょうがないですよ。事実ですし、ゲタをはかせてもらっているのは大きい。そういうものは受け入れて、どうやって「中曽根康タカ」を成長させていくか、役に立つ政治家になっていくかというのは、私の力量次第です。

首相を務めた祖父・中曽根康弘氏は今年5月に100歳の誕生日を迎えた ©文藝春秋

決して世襲議員ではないのですが……

――中曽根さんは衆院選に出る前、衆院群馬1区の党公認候補者選考で現職議員と争って敗れるという事態に直面しました。その後、無所属での出馬を模索しながらも、昨年の衆院選の公示直前に選挙区での立候補を諦め、自民党の比例単独候補になる道を選びました。私は出馬前から中曽根さんの取材を続けてきましたが、あの頃、「総理を出した家の人間を無所属で出馬させることは許されない、という暗黙のルールが自民党にはあるんだ」と、複数の党関係者から聞かされました。戦いたくても戦えない、プリンスならではの苦悩があったのでしょうか。

中曽根 私の場合は、祖父はとっくに引退していて、父は参院議員なので、衆院選に出ようとした私は決して世襲議員ではないのですが、それでも周りからは「世襲」と思われています。私がそういう歴史やしがらみと戦った末に、今、バッジを付けている――とわかってくれている人は、ほんの一部しかおりません。

「無所属でも戦おう」という美学を貫くべきかどうか。しかし、無所属で出て、結果的に落選しても仲間たちは喜んでくれるのか。それなら勇気ある妥協をして選挙区を捨ててでも議員バッジを付けたほうが仲間たちは喜んでくれるんじゃないか。でも、比例単独で出ても当選する保証はないんじゃないか。いや、チームの力があれば無所属でも選挙区で勝てるんじゃないか、いやいや、自分は勢いだけで戦おうとしていないか……。こんなふうに、判断基準がない悩みを抱える日々が続きました。