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「ちーむをだいひょうして」 つば九郎がヤクルトファンに言いたかったこと

文春野球コラム ペナントレース2018

2018/10/20
note

 CSふぁーすとすてーじがおわった。

 だれもが、そのさきをめざしたたかい、96ぱいからのぎゃくしゅうをねらっていた。あいては、じゃいあんつ。しーずんのたいせんせいせきも、ぶがよく、ちーむも、9がつから、ちょうしがよく、しょせんのらいあんで、せんてをとり、つぎの、はらじゅりでかつと、かってにきめていた。

えんじんをくむすわろーずのせんしゅたち ©つば九郎

さいごまでつれていけなかったくやしさ

 たたかいなれたじんぐうでは、たくさんの、すわろーずふぁんが、いっしょにたたかってくれた。こころづよいばっくをせに、たたかうおとこたちに、ぬかりはなかった。

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 だけど、1せんめまさかのはいたい。じまんのだせんが、きのうしなかった。じゃいあんつのぴっちゃーのけいとうのまえに、4あんだ10さんしん。1てんとることしかできなかった。がけっぷちの2せんめ、じゃいあんつの、ぜったいえーす、すがのくんのまえに、のーひっとのーらん。ここいちばんのじゃいあんつのつよさは、ほんものでした。

 しあいご、ちーむのみんなと、すたんどのみんなへ、あいさつにいきました。つばくろうのみた、そのすたんどのこうけいに、めからあせが。

 きろくてきたいはい、じゃいあんつのひーろーいんたびゅーがあって、じかんがたっていたのにもかかわらず、すたんどのすわろーずふぁんは、ほとんどかえっていませんでした。ふつうなら、そんなところみたくないはずなのに、せいれつ、あいさつするじゃいあんつのみんなをまち、すがのくんのひーろーいんたびゅーを、きいてる。なかなかできることではありません。

 せれもにーご、がいやのみんなにいちれいして、いつものないやへのあいさつ。すたんどからは、あたたかいはくしゅと、せいえんがなりやまなかった。そのご、せんしゅは、べんちからにもつをもって、ぐらんどからくらぶはうすへ。うつむくせんしゅに、みんなのはげましのこうけいが、あったかすぎて、たまんなかった。うちのせんしゅは、ぶきようなところがあるから、こんなとき、どうかえしていいのかわからない。ただうなずくのがせいいっぱいにみえた。

らいとすたんどには、いつもみんながいた ©つば九郎

みんなをみおくってから、あらためて、すたんどをみて……

『96ぱい』のきょねんもそうだった。ふぁんのみんなは、さいごのさいごのしあいまで、たとえ、どんなたいはいしてたしあいでもさいごまで、せいえんをおくってくれた。しょうかじあいといわれてるしあいでも、らいとすたんどは、いつもみんながいた。

 そしてことし、なかなかけっかがでないときも、みんながいた。

 しあいで、でっどぼーるをもらったぜんはん、つばくろうのぶろぐをみただけではないとおもいますが、かんせんまなーのよさに、みんなのことをほこらしくおもえた。ますこっとえんせいで、ほかのきゅうじょうにいったときも、みんなのえがおに、びじたーのかんかくをわすれそうなくらい、たのしくすごせた。

 こうりゅうせんくらいから、ちーむもしゃっきんへんさいにむけ、かちがふえて、じんぐうでのかんせんえりあも、らいとだけでは、おさまりきれず、れふとがわまでふえていった。とくてんをとると、かさのはながひらくので、そのこうけいですぐにわかる。ちーむのみんなも、じょじょにふえるみんなのせいえんにきづき、それをかたちにと、かちをふやし、ちょきんをつくり、ふやしていった。

 ひーろーいんたびゅーでは、みんなくちをそろえて、みんなのせいえんが、ちからになっているというのが、あたりまえになっていた。まけそうなしあいでも、ぎゃくてんするいちばんのよういんは、みんなのちからだと、ちーむのみんなはかんじています。

 そのためにも、ひとつでもおおく、みんなといっしょにしあいをすること。CSふぁーすとすてーじとっぱ、ふぁいなるしんしゅつ、そして、にほんしりーずで、また、みんなとあうことが、もくひょうでした。

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