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オリックス・塚原頌平はその翼を広げ、もう一度飛躍するか

文春野球コラム ペナントレース2018

2018/10/17

 今 私の願いごとが叶うならば 翼がほしい この背中に鳥のように 白い翼つけて下さい

 我々が学生時分、随分とこの歌を歌わされた記憶がある。音楽の教科書に載るほどの名曲であるからだろうが、あれから数十年経ち、自分が音楽家の端くれとなるにつれ、この曲の歌詞を良いとは思わなくなった。何故なら人間も皆、その背中に大きな翼を持っていると思うようになったからだ。そう、人は皆その背中に大きな両の翼を持って生まれて来た。

 翼を持った目的が大空を自由に飛び回る事に限定されるなら、鶏やダチョウ、ペンギンは翼を持たない鳥になる。しかし、間違いなく彼らは翼を持って生まれて来た。では我々人間の翼は何を成す為に与えられたのか。それは、これから自分が戦いを挑むシーンの真ん中に躍り出る、そんな飛躍の為の翼なのだと思う。ある者は進学や就職をしたタイミングで翼を広げ、ある者は家族が出来たタイミングで翼を広げるのだろう。音楽家であれば初めてステージに上がるタイミングなのかもしれない。しかし、人間に与えられた翼は高い飛翔能力と長い航続距離を持ち合わせてはいない。飛躍を続ける事で傷つき疲れ果て、余りに儚くその能力を失ってしまう。そう塚原頌平の翼のように。

ここまで2度の右肘手術を行った塚原頌平 ©時事通信社

広がりも傷つきもした「塚原の翼」

 塚原頌平、2010年ドラフト4位。その才能を開花させたのは岡田彰布元監督だった。2012年春、岡田監督はまだ10代の塚原を1軍春季キャンプに参加させ、そしてそのまま4月には1軍の舞台に立たせた。5月のヤクルト戦で初ホールドを記録すると、6月の横浜DeNA戦で1軍初勝利を記録した。Bs投手で10代で1軍勝利を記録したのは1995年の平井正史以来であった。飛躍の時を待ちわびた野球少年はその背中の翼を大きく広げ、プロ野球の世界の真ん中目掛けて飛躍した。その姿を目撃した我々Bsファンは、朝焼けに光る大樹の雫を見た、そんな気さえしたものだ。

 しかしその雫は、そのシーズン中盤に弾け、そして掌からこぼれ落ちた。そう、人間に与えられた翼では、それ以上飛躍する事が出来なかったのだろう。その年、そして2013年、2014年と再び塚原の背中に翼が広がる事はなかったからだ。そう、傷ついたままの翼では。

 人間の翼は余りに脆く、そして余りに儚い。中にはイチロー、そして大谷翔平、平野佳寿のように長い航続距離で海を渡り、高い飛翔能力で活躍を続ける、そんな翼を持った者達もいる。しかし、ほとんどの人間に備わった翼はそうではない。繰り返しになるが余りに脆く、そして余りに儚いものだ。けれど、人間の翼はその傷を癒し、何度でも飛躍することが出来る。再び飛躍する時を信じ、戦いを続けた人間の背中には、以前より逞しく、そして大きな翼が広がる。まるで不死鳥のように。そう2015年、そして2016年の塚原頌平の翼のように。