2008年10月に起きた「田母神論文事件」から10年。現役航空自衛隊トップが公にした論文「日本は侵略国家であったのか」は政府を巻き込んだ大問題に発展し、田母神氏は辞任へ。一体、あの事件は何だったのか。そして“異端の軍官僚”田母神氏の「思想」の源泉とは? 近現代史研究者の辻田真佐憲さんが伺います。(全3回の1回目/#2、#3へ続く)
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書いたものは今でも正しいと思っています
――田母神さんの論文「日本は侵略国家であったのか」は、アパホテルで知られるアパグループが主催する第1回「真の近現代史観」懸賞論文で最優秀賞を受賞しました。現役自衛官、しかも空自のトップである航空幕僚長が〈我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である〉といった論を公にした衝撃はまさに「事件」と言うべきものでした。あれから10年、現在のお考えは、当時の論文の内容と変わりましたか、それとも変わりませんか。
田母神 全く変わっておりませんね。書いたものは今でも正しいと自分で思っています。
――現代史家の秦郁彦さんのような、保守派の論客からも批判が集中した論文でした。たとえば、先の大戦において、蒋介石もアメリカもコミンテルン(共産党の国際組織)に動かされていたという箇所は、「陰謀論」であるとも批判されています。
田母神 そう批判する方がいるのは知っていますが、私は亡くなられた渡部昇一先生や小堀桂一郎先生がおっしゃっているのと同じ論を踏まえているわけです。間違っているとは思いません。
――今回のインタビューでは「田母神論文」の内容を検証するのではなく、なぜ田母神さんがこうした論文を書くに至ったか、そして今どのような考えをお持ちなのか、その「歴史観」がどのように形成されたのかをお伺いしたいと思っています。
田母神 ええ、どうぞ。何でも話しますから。
自衛隊幹部普通課程で出会った渡部昇一先生の本
――人間が持つ歴史観や思想には必ず読書体験が関わってきます。田母神さんの場合、これに影響を受けたとすぐに思い浮かぶ本は何でしょうか。
田母神 本と言えば亡くなられた渡部昇一先生の本から多くの影響を受けています。30歳の頃に出会った『ドイツ参謀本部』。渡部昇一先生の本です。当時私は市ヶ谷にある自衛隊幹部学校に入校(自衛隊では自衛隊の学校に入ることを入学とは言わず入校という)していました。幹部普通課程という、当時は3ヶ月半くらいのコースがあったんです。自衛隊に入って7、8年経てばみんな交代で入るようなコースなんですけど、そこで教官がいろんな本を紹介するわけです。その中にあったのが『ドイツ参謀本部』。
――まさに軍事に関する研究を深めるために手に取った。
田母神 そうですね。でも私は不勉強でしてね、その時、渡部先生の専門が言語学だということも知らなかった。ただ単にこれは軍人が読むべき本だと思っていました。そこからこれを書いた渡部先生というのはどんな人だろうと本を渉猟しました。ベストセラーになった『知的生活の方法』はもちろん、『日本史から見た日本人』の古代編、鎌倉編、昭和編。私は渡部先生にすっかりハマりまして、私たち仲間内のグループにお招きして講演していただいたこともありました。30代はまさに渡部昇一を読んで過ごしていたようなものです。
その渡部先生も昨年お亡くなりになって寂しい限りですが、私は自衛隊退官後渡部先生と2冊の共著を出版する光栄に恵まれました。また渡部先生が『ドイツ参謀本部』の復刻版を出版されるということで、復刻版に添え書きを依頼されました。私が最初に出会った渡部先生の本でしたので大変嬉しく思いました。さらに私が航空幕僚長を更迭されたときに「田母神さん、20年、30年たった時に田母神論文を境に日本の歴史認識が変わったと言われる時代が必ず来ますから、力を落とさずに頑張って下さい」と励まして頂きました。渡部先生の言葉は私にとっては勲章のようなものです。渡部先生が私のアパ論文の審査委員長でしたので、論文の内容がおかしいとかいう一部の批判はありましたが、私は全く動じることはありませんでした。