文春オンライン

「週刊文春」長寿エロ連載 挿絵画家の知られざる人生

文春のレジェンドがついに語った

2017/01/31
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2017年、文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。エンタメ部門の第5位は、こちら!(初公開日:2017年1月31日)。

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「週刊文春」の連載でも隠れファンが多い「淑女の雑誌から」。女性誌の告白欄にあるエッチなネタを紹介し続け、今や「文春」指折りの長寿連載になりました。ここに33年にわたって独特のタッチで挿絵を描き続けているのが種村国夫画伯。一体どんな人なのか、インタビューしてみました。

――こちら、「淑女の雑誌から」への挿絵掲載の第1回目、1983年8月4日号です

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記念すべき初回作品は「自然に手がア・ソ・コに……」という記事に添えられた

 33年になりますか。だいぶ絵が変わったよね。最初はかなり抑えめで、やっぱり遠慮してたんだな。うーん、いつごろから変わったんだろうなあ。「淑女の雑誌から」に登場する女性誌の「告白欄」みたいのを読むと、相当エゲツないわけですよ。で、「もっとちゃんと描いちゃえば」って言ってくるのは、女性のほうなわけよ(笑)。たしかに、女性のワイ談のほうが直接的だから、そうか、もっと描いたほうがいいのかと思ったりしてから絵がどんどん過激になってったのかな。

――「カゲキ体験告白」とか「今どきオナゴの性生活報告」とか「アクメ裏情報」とか、使用されている記事はきちんと目を通してから挿絵を描くんですか?

 もちろん読みます。絵になる変態的な話や場面はないかと探します。話があっさりしすぎていると、読者も飽きちゃうんじゃないかと思って、変態的な絵で補おうとしたりしますよ。

――「風邪のマラしゃぶろう」とか「フィンガーバイブ」とか、エロ駄洒落でオチを付けるのが恒例の欄ですが、それに左右されることはないんですか?

 ないです。編集者から「こういう絵を描いてください」という指示もないので、描きたい部分は自分で探してます。

――絵をよく見ると、背景になんかゴニョゴニョっと文字みたいなものが描かれてますよね。あれは何ですか?

 あれは書き文字。久しぶりに1回目の絵を見たけど、最初から描き文字入れてたんだね。「Happy」とか英語のときもあるし、「Kimochiii」「Motto Motto」なんてローマ字の場合もある(笑)。「淑女の雑誌から」の挿絵以外にも入れることあるんですが、観る人になにか意味があるのかと思わせたいという、つまり絵のアクセントなんですよ。

仕事場の種村国夫さん

――あと絵の線が独特ですよね。太い線と細い線がくねったような

 なるべくマンガチックな、ナンセンスな要素を入れようと思ってます。ナンセンスって、センスがないということじゃなくて、センスを超えたところにあるものでね。人間同士が溶け合っているような、そういう視覚的なはぐらかしみたいなものをできるだけ入れたいなと。

――そもそも「淑女」に描かれはじめたきっかけは?

 長新太さんのあとを引き継いだんですが、はっきり憶えてないんですよ。当時、イラストの仕事をするには、先生に弟子入りして手伝いながら仕事をまわしてもらえるようになるか、自分で売りこみをかけるかしかなかったんですね。ぼくなんかは、ま、小島功さんという先生は近くにいたけど迷惑はかけたくないので、1人で売りこんでました。

 最初に仕事をもらったのは小学館の「女性セブン」。若い男女がゴーゴーを踊ったりするサイケデリック喫茶を紹介するイラストルポでした。ほとんどが門前払いのなかで、「平凡パンチ」の安田富男さんと「週刊読売」の塩田丸男さんが快く会ってくれたことは、当時27、8、遅い駆け出しのぼくには大きかった。「平凡パンチ」で、野坂(昭如)さんの「文句はいうべし」という連載コラムの挿絵を2年やって、その間に「週刊読売」と「週刊文春」の仕事が始まったという感じ。「平凡パンチ」では、五木(寛之)さんの連載にも描かせてもらって、これもけっこう長く続いたんだよね。

「五木さんの連載にも挿絵を描いていました」

――野坂さん、五木さんとのお仕事は大変だったんじゃないですか?

 原稿が遅いからねえ(笑)。一番苦労したのは野坂さん。先生、ちょうど歌手活動をしているころで、青森のキャバレーに歌いに行っちゃったりして、いつまでたっても原稿ができない。だいたい毎週、締切日の朝方までね、ぼくらが出張校正室で待っていると、野坂さんが青い顔でヘロヘロになって現れて、その場で書きはじめる。それを担当編集者がパッと読んで、副編が読んで、流れ作業の最後にぼくが読んで挿絵を描く。でも、あれに鍛えられました。おかげでどこででも描けるようになりましたよ。

――作家さんがご自身の作品を買ってくれたりということは?

 野坂さんには自宅のギャラリー用にって、ずいぶん買っていただきました。いっとき正月明けに数年、銀座で個展を開いてたんですが、野坂先生、ダボッとしたフロックコートに裸足に雪駄でね、入口で呼びこみまでしてくれるんですよ。またこれが上手で、中年の女性をどんどん呼びこんできてね(笑)。

おもむろに指に赤マジックで色を塗り始めた画伯
「こうやって遊ぶ作品です」