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杉村太蔵が忘れられない明石家さんまの質問「冠番組と議員バッジ、どっちが欲しい?」

薄口政治評論家・杉村太蔵さんインタビュー#1

「杉村さんがどんなテレビを見てきたのか、インタビューさせてください」と依頼をすると、「歯科医の父が厳格で、小さいときあまりテレビを見せてもらえなかったんですが、大丈夫ですか」とのお返事。

 ブラウン管の記憶が薄い少年時代を過ごしながら、いまでは元国会議員のタレントとしてテレビで活躍する杉村さん。出演してみて、「バラエティ番組」を見る目がガラリと変わったと話す。(全3回の1回目/#2#3も公開中)

杉村太蔵さん

NHKしか見せてもらえなかった……

―― 今回、依頼させてもらった際、「テレビはあまり見てこなかった」とおっしゃっていました。

杉村 いやぁ、父が厳格な人でしてね。テレビはあったんですけど、もうNHKしか見ない。子供にチャンネル権がまったくない。そういう家でした。だから子供の頃は学校へ行っても友だちの会話についていけない。正直、テレビに関しては苦しい思い出があります。

―― お父さんが仕事でいないときも見せてもらえない?

杉村 父が会合のときだとかは、母が気を利かして見せてくれたりしましたけれどね。たとえば『ドラゴンボール』をたまに見ても、断片なので、面白さがなんとも分からない。だから「ドラゴンボールごっこ」とかに、なかなか入れないんですよ。その苦い経験の反動で、いま子供3人いますけど、学校で流行っているものはある程度見せてあげようと。

 

―― 見せてもらえていたNHKで印象に残っている番組はありますか?

杉村 7時のニュースが終わった後に『連想ゲーム』ってあったじゃないですか。あれを父が見ていまして、子供心にそんなに楽しいわけじゃないんでしょうけど、まあ唯一のバラエティ番組だった。クイズにチャレンジをするけど全然当たらないし、何が面白いのかわからないんですけども、『連想ゲーム』を父が見ていた光景はすごく覚えています。

―― お父さんは楽しんでいた?

杉村 楽しんでいたのかどうか知りません。ただ、見ていた(笑)。あと、『(アメリカ横断)ウルトラクイズ』は見ていました。あれは見せてくれたんです。夢がありましたよ。クイズに正解して、どんどんニューヨークまで行くというね。けっこう時間をかけて、西海岸からずっと列車で行く。そういうのが好きでした。

 

小学校で児童会長、中学校で生徒会長

―― あまりテレビを見られないことに特に不満はなかったんですか?

杉村 「見たい」と頼んだことはないですね。言える環境でもなかったので。

―― それぐらいお父さんが怖い存在だったと。テニスを始めたのはいつごろですか。

杉村 本格的に始めたのは4年生ぐらいからです。運動神経は抜群だったです(笑)。

―― 勉強はどうでしょう。

杉村 まあ、勉強もよくやっていましたよ。父が背後に立って、ずいぶんさせられましたから。オール5ということではないですけども、成績が悪くて問題になったことは一度もない。「昔、僕はワルだったので」というのとはまったく違う子供です。小学校のときから児童会長、中学校も生徒会長ですから。真面目で、先生の言うこともよく聞き、生徒会長をやらせられるほど模範的な、何の悪さもしない。そういう感じの子。