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出光と昭和シェル合併 創業家はなぜ“負けた”のか?

2018/10/26
村上氏は「株主目線で関わる」と説明していた ©文藝春秋

 来年4月に経営統合を予定している出光興産と昭和シェル石油。10月16日、統合に伴う株式交換の比率と統合新会社となる「出光興産」の役員人事を発表したが、

「“出光創業家外し”とも言える人事に驚きの声が上がりました」(銀行関係者)

 創業家の反対で2年間、膠着状態が続いた統合交渉が動き出したのは昨年秋。“物言う株主”村上世彰氏が仲裁の依頼を受けてからだった。元通産官僚で90年代に石油政策に関わった村上氏。インタビューで「知人の財界人から出光創業家へのアドバイスを頼まれ、相談に乗った。電話も含め100回くらい創業家と経営陣の間でやり取りした」などと語り、出光株を1%弱保有したことも明かしている。

 その結果、創業家から和解案として出されたのが、「出光興産の商号を残す」「(創業家が)推薦する取締役2人を新会社に入れる」「自社株買いの実施など株主還元の充実」の3条件だった。

「創業家の出光昭介名誉会長は一時、出光株を過半まで買い増そうと、金策に動いていた。しかし、村上氏から『統合反対を続けても、創業家が得るものはほとんどない』などと説かれ、“3条件”で泣く泣く折り合ったと言われています」(前出・銀行関係者)

 出光の創業者は、昭介氏の父で“海賊とよばれた男”こと故・出光佐三氏。昭介氏は「佐三の血を一番濃く引き継いでいるのは、次男(正道氏)だ」と公言してきたが、

「創業家から2人入ることになっていた取締役には、昭介氏の長男・正和氏と顧問弁護士の久保原和也氏が就きました。正和氏は非常勤の取締役に過ぎません」(同前)

 一方、出光勤務の正道氏は役員に選任されなかった。社名も「出光興産」のままとはいえ、名刺や茶封筒などにはトレードネームの「出光昭和シェル」が使われるという。

「そのうち出光興産の名は消えてしまうのではないでしょうか。合併を主導した出光の月岡隆会長は、新会社でも代表権を持つ会長に就任します。株主と明かした村上氏も結果的に“ディール”を着地させました。損をしたのは、出光創業家だけという結末です」(同前)

 一人負けの昭介氏。新会社を取り仕切る月岡氏とは今も顔を合わせていないという。