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江川 紹子
2017/01/11

「二俣事件」を振り返り、冤罪の悲劇性を浮き彫りにした新聞企画

旬選ジャーナル 目利きが選ぶ一推しニュース

source : 文藝春秋 2017年2月号

genre : ニュース, メディア, 社会

▼「冤罪 終わらぬ苦しみ 二俣事件 『警察官告発』の果てに」 11月27日、毎日新聞(筆者=隈元浩彦)

江川紹子

 雑誌でもネットでも、長文の記事が読まれにくい、と聞く。短い記事で端的に結論を述べよ、という当節の流れに逆らうように、毎日新聞が毎週日曜日に長文のレポートを掲載している。一回が新聞の丸々一ページプラス六十行ほど。「ストーリー」と題するこの企画が、私は結構好きだ。

 話題や書き手によって面白く読む時もあればそうでない時もあり、記事の出来不出来もあるが、これだけの量があると、一人の人を深く取材したり、いくつもの視点で取材対象を見せることができる。

 十一月二十七日に掲載された「冤罪 終わらぬ苦しみ」と題する記事は、一九五〇年に静岡県磐田郡二俣町(現在の浜松市天竜区二俣町)で発生した強盗殺人事件「二俣事件」を取り上げ、隈元浩彦記者が関係者の遺族を訪ねている。

 なにしろ昔の事件。事件名を聞いてもピンとこない方が多いのではないか。本件では、夜間に民家に賊が入り、六畳間に寝ていた四人が殺された。警察は、近くに住んでいた十八歳の少年須藤満雄を窃盗の別件で逮捕した。須藤は、捜査段階で本件についても自白したが、裁判では一転無実を訴えた。しかし、一審は死刑判決。控訴したが、棄却された。

 あわやというところで、最高裁が有罪判決を破棄して地裁に差し戻し、地裁が無罪判決に転じた。検察は控訴したが、高裁が棄却。須藤の無罪は確定した。

 実は静岡県は、昭和二十年代から三十年代にかけて、いくつもの重大事件で冤罪を生んだことで知られる。

 例えば、死刑が確定し、二十九年後に再審で無罪となった島田事件。やはり死刑囚に再審開始決定が出た袴田事件もそうだ。この事件は、検察側が異議を申し立て、高裁での審理が長引いている。

 静岡で冤罪が多発したのは、凶悪事件の捜査班を率いた静岡県警警部の紅林麻雄の捜査手法に依るところが大きい。“叩いて吐かせる”、つまり否認する被疑者には激しい拷問を加えて自白させるやり方は、「紅林方式」とも呼ばれた。須藤の自白も、激しい拷問の末にとられたものだった。

 それを告発した現職刑事がいた。二俣事件の捜査に関わった山崎兵八が、実名で新聞に投書し、裁判には弁護側証人として法廷で証言した。

 すると警察は、山崎を偽証容疑で逮捕。山崎は、起訴前の精神鑑定で「妄想性痴呆症」と診断されて、不起訴となったが、警察を追われた。運転免許も取り上げられ、五人の子どもを抱え、生活苦にあえぎながら、悔しさを押し殺して生きる毎日を、彼の娘は記事中で「悲憤の日々」と語っている。山崎は名誉回復を願いながら、叶わぬまま没した。

 一方の須藤も、すでに亡い。記事によると、妻は夫が急死した際、遺体の湯灌をしながら、背中に残る拷問の痕を初めて見た。妻は、夫が無罪になった後も、縁者の葬式から追い返されるなど、様々な苦労があったことを聞かされていた。

 無罪になっても、世間は必ずしも「無実」とは見てくれない。まして被害者は……。

 事件の日、すっかり寝入っていて助かったが、両親と妹二人を失った男性が語っている言葉には、犯人だと思った人が無罪になり、その後真犯人が分かるわけでもなく、心が宙ぶらりんの状況に置かれ続けた辛さがにじんでいた。

 冤罪は、犯人とされた人の人生を狂わせるだけでなく、その家族、被害者を含めて、多くの人を長い間苦しめ、翻弄する。本件のように、世間が事件を忘れても、関係者たちの苦悩は続く。

 改めて、その悲劇性と罪深さを感じた。

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