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探検家・角幡唯介の人生「2年で800万貯めて朝日新聞を辞めたあのころ」

本屋大賞を受賞した探検家はどんな家に住んできたのか?――新・「家の履歴書」

2018/11/08

1浪して早稲田大学に入学、そして探検部へ

《芦別の自宅で1年浪人したのち、94年に早稲田大学政治経済学部に入学。大学から歩いて10分ほどのアパートを借りる。風呂トイレつきの2階で、家賃5万円台のお得な部屋だった。

 2年生の4月から、探検部に入部。早大探検部は、世界の秘境や未踏峰への遠征など本格的な活動を行なう大学公認の団体で、OBに作家の船戸与一氏や高野秀行氏らがいる。》

角幡 東京の大学を目指した目的は、「スーパーカクハタ」を継ぎたくなかったから。「他人と違う生き方を探そう」とだけ考えていて、早稲田を選んだのは、いろいろな可能性がありそうに思えたからです。勉強する気も、卒業後に就職するつもりもなかったので、入学直後から授業にはほとんど出ませんでした。

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 探検部の勧誘ビラは、初めて目にしたときから気になっていました。「コンゴの湖に生息する怪獣ムベンベを探す」とか「メコン川を第三国としては世界初航下。別名“国境クソくらえ計画”」といった活動実績が世界の白地図に書き込んであって、1番下に「世界の可能性を拓け」というあおり文句。それを見て「他人と違う生き方」を感じたわけですね。

 部員は1年生から8年生まで(笑)、40人くらい。初めて参加した本格的な遠征では、真冬の北海道大雪山系を100キロ、1カ月かけて山スキーで踏破しました。

 入学から住み始めた部屋は、住民トラブルを起こして追い出されました。原因は麻雀の音です。階下の住人が、大学を卒業して司法試験の勉強をしている人でした。いつも部屋にいるので、まず「足音がうるさい」という苦情。大家さんはその時点では僕に同情的だったんですが、「揉めてるのに麻雀やるなんて」と呆れられ、「出てって」と言われてしまったんです。

 次も大学の近くで、小ぎれいなワンルームマンション。しかし7、8万円もの家賃を払うのがバカバカしくなって、探検部の友人が住んでいた早川荘に引っ越しました。

 場所はやはり早稲田です。建物が確か3つ並んでいて、それぞれ15部屋くらいあったかな。風呂なしトイレは共同。四畳半一間で、家賃2万7000円のぼろアパートです。

先が見えない人生にビビって新聞記者に

《6年かけて大学を卒業したあとは、日給1万2000円の土木作業のアルバイトで資金作りに励み、海外へ探検に出かけた。

 2003年、朝日新聞社の採用試験に合格し、27歳で入社。富山支局に配属され、約7年住んだ早川荘から引っ越す。3年後、北埼玉支局(熊谷市)へ転勤となる。》

角幡 卒業したら探検家になると決めていたので、就職活動はしませんでした。なのに2年経って気が変わったのは、早川荘に住んでいた探検部時代からの友人が、就職を決めて出て行ったのがきっかけ。青春の終わりを実感させられて、先が見えない人生にビビったわけですね。新聞記者は、面白そうだと思った数少ない仕事のひとつでした。

 富山で住んだのは、オシャレっぽく作ってあるんだけど、使いにくい部屋でした。家賃の半額が会社から補助されるので、8万円もする2DKを借りたんです。

3年住んで、1度もゴミを出さなかった富山の部屋

角幡 広すぎたせいで、空いている場所に45リットル入りのゴミ袋を積み重ねたら、どんどん積もっていきました。3年住んで、ついに1度もゴミを出しませんでした。途中から「なんかこれ、捨てるのもったいないな。最後まで頑張って溜めよう」っていう気持ちになったんです(笑)。

©文藝春秋

 転勤で引っ越すと決まったとき、市の清掃局に「ゴミ、すごい溜まってるんです」と電話しました。「ちょっと見に行きます」と職員がやって来て、部屋のドアを開けた瞬間「うわっ、これはダメだ」って(笑)。

 ゴミ収集車が3台来ました。あれって、チャーターすると1台2万円くらいするんですね。結局高いお金を払うことになったから、バカバカしかったですよ。

 朝日新聞は給料がよかったのに、富山にいた3年はお金が貯まりませんでした。卒業直後のニューギニア遠征で両親や4歳下の弟から借りたお金を返していたせいもあります。両親は、僕が留年したり就職しないことに当然反対でした。でも、遠征資金は出してくれたんです。

探検家に戻るため2年間で800万円を貯金

角幡 「30歳くらいで辞めて探検家に戻ろう」と考えていたので、北埼玉支局に移ったあとは貯金に努めました。だから部屋も、家賃の安さで決めました。4万円のうち半分が補助ですから、払うのは2万円。板金屋さんが経営しているアパートで、二間あって、ちょうどいい広さでした。

 働かなくても3年は食えるように2年間で800万円くらい貯めて、2008年に朝日新聞を辞めました。探検の成果を本に書くつもりでしたけど、それで食っていけるとは思えず、将来についてはノープラン。「ホームレスになったら、ホームレス体験記を書けばいいや」くらいの気持ちでした。

 住まいは、都心に近い埼玉県草加市のワンルームマンションに引っ越し。ここも、4万円という家賃の安さだけで選びました。電車代をケチるため、都内へ出るときはいつも自転車。武蔵小山(品川区)のチベット語教室に通ったんですが、片道1時間半くらいかかるので疲れてしまい、授業中は寝ていました。