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各紙は「自己責任」をどう報じたか? “2004年の安田さん”と“2018年の安田さん”

14年前の「安田さん解放」と読み比べてみると

2018/11/09
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井上ひさし、14年前の「自己責任論」

 そんななか、次の記事が面白かった。

 朝日新聞デジタルで読んだ「宮城」版の記事だ。

「井上ひさしさん『自己責任論』に異議、生前に語る」(11月4日)

 朝日の宮城版もまた、2004年の言論状況を振り返っていたのである。

 そこで紹介されていたのが、

《仙台文学館(仙台市)初代館長で作家の故・井上ひさしさんは、当時の文章講座で「自己責任の言葉の使い方を間違っている」と語り、日本社会のあり方を問うていた》

 というエピソードだ。

井上ひさし氏 ©︎文藝春秋

 井上氏は2004年5月15日に開かれた文章講座の中で、おもむろに3人へのバッシングについて「あれ、間違いなんです」と切り出したという。

《講座によると、「責任」の語源は「レスポンス(応答)」のラテン語にあり、「ここで問題になるのは、誰が何を誰の前に応えるのか」と説明。法律の前で、神の前で、社会の前で、自分の前で……。そう例示した上で、「自己責任という言葉は自分の前でしか使えない。自分が使命感を持ったら、それを果たすのが自己責任。志を立てたのにやらなかったら自分が許さない」と語りかけ、イラクに行った3人は、逆に自己責任を果たしたことになると説いた》

「弱い者は弱い者でいなければならず……」

 自己責任という言葉は自分の前でしか使えない。なんというわかりやすい説明だろう。続けて、

《受講者から趣旨を確認する質問も出た。井上さんは「おまえの責任だ、と外側の言葉で使われ始めたのでおかしくなっている」と回答》

 こちらもわかりやすい。

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©︎AFLO

 井上氏は人質になったうちの1人から記者会見の前に相談を受けたことを明かし、「一切の弁明をせず、現地の説明だけをしなさい」とアドバイスしたという。

「弱い者は弱い者でいなければならず、弱い者が意外な反撃をするとかさにかかってやっつける、というのが日本人の発想のクセになっている」

 あれから14年経った。

 井上ひさし氏の言葉は2018年の今こそ必要ではないだろうか?

各紙は「自己責任」をどう報じたか? “2004年の安田さん”と“2018年の安田さん”

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