文春オンライン

「音のない世界」に生きる画家・今井麗が電信柱の陰で出会った人生の転機

今井麗インタビュー #1

note

決定的に「私には絵しかないな」と思った瞬間

――画家になりたいと思ったのは、子供の頃からですか?  

今井 初めて画家になりたいと思ったのは、中学生かな。画家になりたいというか、もうプロの画家になって生活できるようになりたいと思っていましたね。話が逸れるようなんだけど、よく行く商店街に大判焼き屋さんがあって、滑らかなタネを型に入れていく様子や、大判焼きをひっくり返したり、あんこを手際よく入れていく様子に見とれたことがあったんです。

今井麗さんの画集『gathering』 ©Baci

――「大判焼きを作ってみたい」と。

ADVERTISEMENT

今井 こんな素晴らしい仕事はないと思って(笑)、高校生の時にアルバイトをしたいと思ったんです。3~4時間くらい電信柱の後ろに隠れて、どのタイミングで「アルバイトしたいです」と言おうかと。でもすごく自信がなかったんです。私は補聴器を付けて、口の動きを読むことで目の前にいる人と話すことはできるけど、電話ができないんですよ。その頃はポケットベルが出始めた頃なのかな。まだメールがない時代です。電話ができない、大判焼きの注文がとれない、材料の注文もできない。足手まといになるだろうと、どんどんネガティブに考えてしまって、結局言えなかったんですよ、「アルバイトをしたい」と。

――4時間も見ていたのに。

今井 そう。お店に言ってもいないんです。その電信柱の陰にいた時間、他の人とコミュニケーションを取りながら仕事をすることは「私には絶対無理なんだ」とガツーンと思って。その時、決定的に「私には絵しかないな」と思いました。絵だったら腕に磨きをかければ、これだけで仕事ができるから。「何か手に職をつけるなら、得意な絵かな」というリアルなことも考えていました。そして何より絵が好きでした。

 

――ご家族には、将来のことを相談しましたか?

今井 うちの両親は、やっぱり私の将来を心配して、この子は画家になったほうがいいんじゃないかと思っていたみたいです。だからこそ、積極的に海外に連れて行ってくれたんだと思うし、家族は誰も反対しなかった。母に「絵描きになりたい、どうすればいい?」と聞いたら、タウンページを取り出して、絵画教室を探してくれました。母が、地元の予備校に問い合わせたところ、私はまだ中学生だったので「うちは高校生からです」と言われてしまったんだけど、無理やり入れてもらいました。

――どうでしたか?

今井 先生はすごく困っていたけど、とりあえず1枚、高校生に紛れて石膏デッサンを描いてみようという話になって。普通は、ちゃんと丁寧に描かなくてはいけないものですが、母が言うには木炭と紙をちょっと借りて、1本の線でバーッと素早く描き終わったみたいで。私は全然覚えていないんですけどね。

――素早く描く、というのは変わらないですね。

今井 石膏デッサンの正しい描き方なんて、わからなかったから(笑)。そうしたら先生は「入会してみる?」って苦笑いでしたけどね。中学生の頃は長いお休みの間だけ、夏期講習や冬期講習に通っていました。その流れのまま、大学は美大を受験したんです。多摩美の油画専攻でした。

 

――今井さん、大学院まで進学されたのはどうしてですか?

今井 大学時代は割と真面目に過ごしていて。具象画クラスに入って、ヌードモデルを油絵で描いたり、デッサンをしたり。絵描きの人生は死ぬまで続くけど、裸のモデルさんを描く機会なんて大学にいる間しかない。そう思って、真面目な絵ばかり描いていました。まだ自分の絵が何なのか、何にも分かっていなかったし与えられた課題をこなすのにも抵抗がなかったように思います。

――制作に没頭されていたんですね。

今井 それで、大学までで卒業してもよかったんですが、キャンパスのアトリエの広さや環境のよさが魅力的だったし、まだ画家として一人立ちする勇気がなかったこともあって、大学院に進学させてもらいました。それからさらに博士課程まで進むという……。制作をして、気に入ったモデルさんを一人で描いて、論文を書いて。そういうストイックなのか自由なのかよく分からない学生生活を長く送ってしまいました。

――論文は、どういうテーマで書かれたんでしょう。

今井 恥ずかしくて、あんまり思い出したくないんですけど……(笑)。本当は大好きなマネのことを研究したかったんです。でも、研究室の先生から「謎めいている作家を研究した方がいいよ」とアドバイスされてバルテュスを選びました。初期の挑戦的な作品がとても好きで。でも「謎めいている」というのが私にはしっくりこなかったんですね。私、全然謎めいていないから。明快なので(笑)。

 

――しっくりこなかった。今井さんらしい言葉です。

今井 そうですね、博士課程は途中で挫折してしまって満期退学しました。負の歴史の話はこれくらいにしましょう(笑)。その後は個展で作品を毎年発表するようになり、今までずっとやってきています。

写真=末永裕樹/文藝春秋

いまい・うらら/1982年神奈川県生まれ。画家。2009年多摩美術大学大学院美術研究科博士課程を満期退学。2012年、シェル美術賞で本江邦夫審査員奨励賞を受賞。「虎屋」の広告や、装丁などにも作品が起用されている。

「音のない世界」に生きる画家・今井麗が電信柱の陰で出会った人生の転機

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー