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「1950年生まれの料亭の子」が歌舞伎の女形として頂点を極めるまで

中川右介が『国宝』(吉田修一 著)を読む

2018/11/24
『国宝 上』(吉田修一 著)

 主人公である歌舞伎の女形は、1950年生まれの料亭の子――歌舞伎ファンならすぐに坂東玉三郎がモデルなのか、と思うだろう。主人公が弟子入りする上方の役者は二代目中村鴈治郎に似ているし、歌右衛門らしき名女形も出てきて、最初はモデル探しをしながら読んでいた。しかし主人公・喜久雄は、現実の玉三郎の経歴とはまるで違う。50ページも読むと、誰がモデルかなどどうでもよくなり、完全なフィクションを夢中になって読んでいた。

 流れる時間は、東京オリンピックの1964年から現在までの半世紀以上。歌舞伎役者が成長していくドラマの裏で、任侠・極道の世界の変質も描かれ、重層的になっている。

 歌舞伎座、南座などの劇場名や、上演される作品は現実の世界と同じだが、この小説で描かれる歌舞伎界は、現実とは別だ。さらに、芸能界全般や相撲界まで、作者は創作していく。このフィクションとしての構築力に圧倒される。

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 主人公にはライバルがいて、親友もいて、邪魔する勢力もいて、女性関係もそれなりにあって、困難にぶつかりながらも、その道で頂点を極めるという、古典的ストーリーだが、それゆえに抜群に面白い。芸とは何かとか、歌舞伎とは何か、といった観念論を吹き飛ばす。歌舞伎の知識がなくても、楽しめるよう、演目や役柄を知らない人のための工夫もなされている。

 地の文が「です・ます」調なので、登場人物の誰かが回想している形式かと思ったが三人称。最初は違和感があったが、読んでいくうちに、この地の文は、歌舞伎でいう義太夫節なのだなと分かった。

 問題は、現実の歌舞伎の世界がこの小説ほど面白くないことだ。観客の興奮によって何かが動くことなど、滅多にない。その意味では「理想の世界」を描いている。だからこそこの世界にいつまでもいたくなり、結末は気になるが、読み終えたくなかった。こんなことは久しぶりだ。

よしだしゅういち/1968年、長崎県生まれ。法政大学卒業。97年、「最後の息子」でデビュー。2002年、『パレード』で山本周五郎賞、「パーク・ライフ」で芥川賞、07年『悪人』で毎日出版文化賞など、著書、受賞は多数。

なかがわゆうすけ/編集者、作家。1960年東京都生まれ。『山口百恵』『海老蔵を見る、歌舞伎を見る』『サブカル勃興史』など著書多数。

国宝 (上) 青春篇

吉田修一(著)

朝日新聞出版
2018年9月7日 発売

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国宝 (下) 花道篇

吉田修一(著)

朝日新聞出版
2018年9月7日 発売

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「1950年生まれの料亭の子」が歌舞伎の女形として頂点を極めるまで

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