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夢の中で夢を見ているような感覚 森見登美彦「熱帯」の魅力とは

野谷文昭『熱帯』(森見登美彦 著)を読む

2018/12/02
『熱帯』(森見登美彦 著)

 ボルヘスには実在しない本についてリアルに語る短篇があり、ボラーニョには謎の作家を探す大長篇がある。森見登美彦の新作も実在しない本とその作者についての物語でありながら、印象はかなり違う。タイトルは単純なのに、物語の構造が実に複雑なのは、作者が本作を、作中繰り返し言及されまた引用もされる「『千一夜物語』の異本」として書いたからだろう。

 物語は、奈良に住む作者を思わす作家がスランプに陥っているという、現実的な状況から始まる。だが実在する『千一夜物語』を読み始めたこと、そして『熱帯』という謎の本を思い出したことで、大きな変化が訪れる。ここで読者はもうひとつの物語に引き込まれることになる。まるで次々に分岐し、オーロラのように融通無碍に変化する夢の中に足を踏み入れた気にさせられるのだ。登場人物も舞台もくっきり描かれていながら絶えずミステリアスな雰囲気が漂う。しかも『熱帯』は読み手が目を覚ますと消えていたりするし、この本の謎を解こうとする「学団」の誰ひとり最後まで読み通していないのも奇妙だ。

 最も幻想的なのが、『千一夜物語』と一致するという、「不可視の群島」と名づけられた章だろう。ここではノーチラス島にいる〈ネモ〉と呼ばれる〈僕〉の夢のことが語られるのだが、突如現れる島が夢の産物なのか、魔術によって創造された現象なのか定かでない。島を取り囲む海が「我々の世界とは異なる原理に従っている」からだ。いわば夢の中で夢を見ているような感触を読者は味わうだろう。この入れ子状の構造が全篇にわたって見られ、新たな謎を発生させる装置となっていることも本作の特徴だ。

 たびたび出てくる古本屋、喫茶店、珈琲といった道具立てが、〈現実〉の舞台をレトロに染め上げ、時間もゆったりと流れていたり淀んでいたりするのは、この作家の描く世界に共通する要素だろう。その世界の範囲で物語が展開していれば、たとえ奇想天外なことが起ろうと、読者は作者ゆかりの地である京都あるいは日本の小説として安心して楽しむことができるはずだ。だがこの小説は『千一夜物語』をはじめ『ロビンソン・クルーソー』、『宝島』、ヴェルヌの『神秘の島』や『海底二万里』のような海外の小説、あるいは池澤夏樹の『マシアス・ギリの失脚』などに触れることで、読者の体験や想像力を刺激し、従来の森見作品の枠を大きく超えると同時に、『千一夜物語』同様、読者が様々な異本を作ることを可能にしている。そして最後に、大どんでん返しが読者を待ち受けている。

もりみとみひこ/1979年、奈良県生まれ。京都大学大学院農学研究科修士課程修了。2003年、「太陽の塔」で第15回日本ファンタジーノベル大賞を受賞しデビュー。07年、『夜は短し歩けよ乙女』で山本周五郎賞、10年、『ペンギン・ハイウェイ』で日本SF大賞を受賞。

のやふみあき/1948年、神奈川県生まれ。名古屋外国語大学教授。東京大学名誉教授。近訳にR・ボラーニョ『チリ夜想曲』など。

熱帯

森見 登美彦(著)

文藝春秋
2018年11月16日 発売

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