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東芝新会長・車谷暢昭氏が語る「就任直後、再建のためにまずやったこと」

“メザシの土光さん”との「共通点」

“メザシの土光さん”と呼ばれた土光敏夫・元東芝社長は、多くの格言を残したことで知られる。

土光敏夫氏 ©共同通信社

〈本来の情報は天然色なのだが、幹部の持つ情報は単色情報になりがち。そんな薄まった情報に基づいて判断したら大変。単色情報を天然色情報に戻すためには、自らの足で現場を歩き、自らの目で現場を見て、現場の空気を味わい、働く人々の感覚に直に触れること〉(「土光敏夫 信念の言葉」PHP文庫)

 土光さんが経営難に陥っていた東京芝浦電気(東芝)を再建するため石川島播磨重工業会長から同社社長へ転じたのは1965年のことだった。

 それからちょうど50年後となる2015年――。不正会計が発端となり、東芝は、創業以来最大の危機に陥った。歴史は繰り返すのだろうか。東芝の再建を託された人物は、土光さんと同じく“外部から来た経営者”だった。

「東芝の再建は、すなわち日本の製造業の再建でもある」

 2018年4月から東芝の代表執行役会長CEOを務める車谷暢昭氏はそう語る。

車谷暢昭氏 ©文藝春秋

 エンジニアだった土光氏とは異なり、車谷氏は「ザ・金融マン」だ。大学卒業後、三井銀行に入行。企画畑を長く歩んだ。“三井の重鎮”として知られる小山五郎元会長の秘書を務めた経験も持つ。三井住友銀行常務だった2011年には、福島第一原発事故で窮地に陥った東京電力を救うスキームを作成した。2017年からは英国のプライベートエクイティファンド、CVCキャピタル・パートナーズに転身し、日本法人会長も務めていた。こうした経歴と実績が高く評価され、東芝の取締役会の指名委員会からヘッドハントされたのである。

 一見すると、華やかな道を歩んできたように見える車谷氏だが、実は、冒頭に紹介した“土光イズム”と近い考え方を持っている。

「製造業は現場が全てです。会長に就任したらすぐ工場に行って、社員と語り合いたいと思っていました。そして私は就任直後から、ほぼ全ての工場と支社に足を運びました」

「この半年で会った従業員は数千人。2、30代の若い社員たちとも話をしました。私が『遠慮なくメールをください』と言うと、彼らはしっかりと返してくる。その一つ一つに返事をしました」

14万人を超える従業員を抱える ©共同通信社

 こうした取り組みなどを通じ、「(今まではバラバラだった)社内が一体になった」と車谷氏は語る。

 東芝は、今後、何を目指していくのだろうか。

「(東芝を)世界有数のサイバーフィジカル企業に飛躍をさせることが、私が果たさなければならない責務だと考えています」

文藝春秋1月号

「サイバーフィジカル企業」とは、聞き慣れない言葉だが、いったい何なのか……? 車谷氏の“東芝再生プラン”の全貌は、「文藝春秋」1月号「東芝会長 ゼロからの『巨艦』復興宣言」に掲載されている。

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