日米関係に予算編成……。難問を抱える鳩山を小沢は突き放した――
十月二十日夜、首相・鳩山由紀夫は就任後初めて行った地方遊説の興奮がまだ冷めやらぬ様子だった。四方八方から湧き立つ拍手と声援、握手を求めて群がる聴衆……。鳩山の脳裏には、つい数時間前の光景がくっきりと像を結んでいた。
「それにしても、よくあれだけ集まりましたね」「押すな押すなの人だかりで、特に浜松がすごかった」
この日、参院静岡、神奈川両補欠選挙と川崎市長選の応援に出向き、東京に戻った鳩山は国会近くの中国料理店「赤坂四川飯店」で秘書官たちと円卓を囲んだ。テーブルの料理よりも、人気をほめそやす言葉の方が鳩山にはご馳走だった。
「衆院選の時もすごかったが、これが支持率七〇パーセントなんだな」
新米首相もその余韻を楽しむように笑顔を浮かべた。確かにこの日の遊説の光景は全盛期の元首相・小泉純一郎を思わせるものだった。午後四時半からのJR浜松駅前での街頭演説会は約二千人の聴衆が駅前を埋め尽くし、鳩山が選挙カーの上に姿を見せると、「ウォー」という地鳴りのようなどよめきが広がった。
「官僚に任せるのではなく、政治家が皆さんと一緒に政策をつくる。与党も野党もない。この国を、国民の皆さんの暮らしを少しでも良くするのが政治家の役割。そのために頑張ります!」
選挙応援にはおよそふさわしくない「与党も野党もない」という“失言”にも大きな拍手が起きた。鳩山が得意絶頂になるのも無理はなかった。
だが、鳩山の眼前には躓(つまず)きの石がいくつも転がっている。その一つが米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題をはじめとする在日米軍再編問題だ。
事態は風雲急を告げていた。
演説を終えた鳩山が聴衆にもみくちゃにされていた頃、外務省では外相・岡田克也とこの日来日した米国防長官・ゲーツの会談が始まろうとしていた。
通常は時候の挨拶程度にとどめる冒頭のカメラ撮影の最中、ゲーツは厳しい表情で「米日両政府は米軍再編の実施を約束している」といきなり本題に切り込んだ。そして、報道陣が退席するのを待ちかねたようにゲーツは二の矢を放つ。
「米日両政府が長い時間をかけて、いろいろな選択肢を検討した結果、キャンプ・シュワブ沿岸部(沖縄県名護市)で合意した。これが唯一、実現可能な案であり、着実な実施が必要だ。来月の大統領訪日までに結論を出していただきたい」
岡田は「できるだけ早期に結論を得たいが、困難な政治状況を理解してほしい」と猶予を求めたが、ゲーツは同じ言葉を繰り返し、平行線のまま会談は終了した。事前の日程調整で日本側が提案した岡田や防衛相・北沢俊美との夕食会も、防衛省訪問時恒例の儀仗隊による栄誉礼も「今回は儀礼的な行事は必要ない」と拒否したゲーツは、翌二十一日の鳩山、北沢との会談に臨んだ。
ゲーツは北沢との会談で、岡田が念頭に置く嘉手納基地への統合案を「有事に対応できない」と一蹴する一方で、「一インチも動かすことはできない」としてきた従来の公式見解を転換し、沖縄県知事・仲井真弘多(なかいま・ひろかず)が求める代替施設の沖合移動を容認する姿勢を打ち出した。「米国は本気だ。オバマ来日までに沖合移動で決着を付けろという最後通告ではないか」と、外務、防衛両省の担当者は顔をひきつらせた。
だが、岡田・ゲーツ会談を受けても、鳩山周辺は強気だった。首相補佐官・中山義活は会談の報告に対して「そりゃあ、ゲーツレベルまでは強硬だろう。でも決定権を持っているのはオバマだ」とうそぶいた。案の定、二十一日の会談で鳩山は強い調子でこう言い返した。
「急ぐ気持ちは分かる。しかし政権を取ってまだ一カ月余りだ。私が選挙で約束したメッセージもある。沖縄県民の思いも尊重しなければならない。それなりの時間が必要だということは理解してもらいたい」
熱湯が風呂に直接注がれるがごとく、普天間問題は何の調整も図られないまま十一月十二、十三両日のオバマ来日に持ち越されることになった。
■仙谷に一喝された長妻
もう一つの大きな懸念材料は、金看板である「無駄遣い一掃」の成果が問われる二〇一〇年度予算編成だ。
十月十五日に締め切られた概算要求の総額は過去最大の約九十五兆円。金額を明示せず項目だけを要求した「事項要求」の約二兆円分を加えると、予算規模は九十七兆円に膨らむ。既存予算の削減が思うように進まず、マニフェスト分がそのまま上乗せされた形だった。
「要求大臣ではなく、査定大臣になれ」と檄を飛ばしてきた鳩山のメンツは丸潰れ。官邸主導のイメージを壊さぬよう矢面に立つのを避けてきた財務相・藤井裕久の堪忍袋の緒もついに切れた。十六日の閣僚懇談会で藤井は自ら挙手して発言を求め、居並ぶ閣僚を叱りつけた。
「我々は野党時代に一体何と言ってきたか。自公政権の予算は無駄がたくさんあると批判してきたではないか」
藤井はその二日前、鳩山に電話して、各閣僚の取り組み状況を報告していた。
「役所に丸めこまれている閣僚もいる。引き締め直さないと大変なことになる。総理からも直接ご指導いただいた方がいい」と、特に名指しで批判したのが、厚生労働相・長妻昭だった。
「年金のスペシャリストではあるが、それ以外は精通していない。医療などは役所の言いなり、全く切り込めていない」
〇九年度補正予算の見直しでも、長妻は「子育て応援特別手当」の取りやめ問題で行政刷新担当相・仙谷由人から大目玉を食っていた。多くの地方自治体が既に支給準備を進めているとして事務方が予定通りの支給を進言し、長妻も同調したからだ。長妻は仙谷に呼び出されて、「これは公明党の政策じゃないか。野党に手柄をやってどうするんだ」と一喝され、取りやめで関係閣僚をまとめるよう言い渡された。
だが、根回しが不得手な長妻はその後の閣内調整でも苦しんだ。総務相・原口一博は「地域主権を掲げている民主党政権が『国の方針には黙って従え』と言うつもりですか」と反対、「仙谷さんの指示だから」と頭を下げても納得しなかった。困った長妻は官房長官・平野博文に泣きついたが、「何でも官邸に持ち込まれては困る」とはねつけられた。疲れた表情で関係閣僚の下に足を運ぶ長妻に、もはや年金問題追及で名をはせた民主党のエースの面影はなかった。
■「お手並み拝見」の小沢
日米関係と予算編成。どちらも綱渡りの状態だが、それにも増して鳩山の心配の種は小沢問題だった。主要役員に側近議員を配し党を完全にコントロール下に置いた幹事長・小沢一郎は鳩山に対して「お手並み拝見」の姿勢を貫いていた。「政府は鳩山、党と国会は小沢」という当初の取り決めを忠実に守っているとも言えたが、口出しもしないが協力もしないという頑なな対応が鳩山には気掛かりでならなかった。
ゲーツとの会談を前に北沢は小沢に面会を求めた。沖縄県選出議員を抱える社民、国民新両党との連立関係にも、来年の参院選にも大きな影響を与える普天間問題に小沢が無関心なはずはない。「小沢幹事長の意向を踏まえた上で対応を考えた方がいい」という北沢の意見に、鳩山も「そうしていただければありがたい」と応じていた。官邸と党のパイプ役である平野が足繁く党本部の幹事長室に通っていたが、政策面で意見を求められても小沢は「特にない」と答えるのが常だったからだ。付き合いの長い北沢なら小沢の本音を引き出せると鳩山は期待した。だが、小沢は「そんな話は政府の中でやってくれ」と面会要請をにべもなく断った。
党役員会に出席を求められないことも鳩山には不気味だった。新メンバー決定後、初めて開かれた十月十三日の役員会。鳩山には事前の案内すらなかった。鳩山欠席の理由を記者会見で聞かれた小沢は「もう少し勉強してくれなきゃ駄目だよ、あなた。鳩山代表は日本国の首相だよ。いちいち党の会合に出てくるわけがないじゃないか」と吐き捨てるように答えた。だが自民党の歴代首相もしかり、公務に支障がない限り役員会には党首である首相も出席するのが普通の政党だ。
年間二百億円に上る党財政と選挙の公認権を一手に握った小沢。いまや小沢に意見できる幹部は党に残っていない。鳩山不在の役員会は「小沢支配」の完成を雄弁に物語っていた。来年度予算編成に向け十月二十二日に始動した行政刷新会議の議員メンバー差し替え劇も、権力の中枢がどこにあるかを如実に示していた。
この日発表された議員メンバーは統括の元政調会長・枝野幸男以下三十二人。来年度予算概算要求に盛り込まれた数千の事業から二百四十程度を抽出し、要不要の判定をする事業仕分け担当のメンバーである。鳩山はメンバー全員を官邸に招き「歳出削減を徹底的に行っていただきたい。必殺仕分け人として頑張ってほしい」と激励の言葉を贈った。だが翌二十三日、作業に本格着手しようとした矢先に党執行部から「人選に問題がある」と待ったがかかった。
仙谷が幹事長代行・輿石東(こしいし・あずま・参院議員会長)に事前に通告していたメンバーは半分の十五人程度。「相談せずに人数を勝手に増やしてもらっては困る」「来週から新人研修があるので、十四人の新人議員はメンバーから外してほしい」というのが小沢の注文だった。小沢の電話に平野は「作業を中断して人選をやり直させます」と謝り、その旨を仙谷に伝えた。メンバーの追加は副幹事長を通じて伝えたはずだと仙谷は反論したが、小沢に「聞いていない」と言われれば、なす術はなかった。「そりの合わない仙谷、枝野が中核であること自体がおもしろくない上に『なぜ俺に直接頼みに来ないんだ』とへそを曲げた」というのが通説だが、その真偽はともかく、「必殺仕分け人」と檄を飛ばした鳩山に恥をかかせる結果になったのは事実だった。
政府・与党の首脳会議で顔を合わせても、小沢は仏頂面を崩さず、にこやかに鳩山と談笑する場面はほとんどない。それは鳩山政権の将来に見切りをつけているからだと側近議員は指摘する。
「小沢さんは『鳩山の故人献金問題は深刻。自民党次第だが、来春まで持つかどうか』と漏らしている。その場合は菅(直人)にスイッチすればいい。どんなことがあっても四年間は解散しないと明言している」
小沢の最近の楽しみは小鳥の飼育と来夏の参院選対策。小鳥のえさに天然ドジョウをインターネットで取り寄せるほどの熱の入れようだが、参院選にはまさに全精力を注いでいる。選対委員長に起用した石井一に小沢はこう話した。
「若い奴は浮かれているが、政権交代はまだ半分しか完成していない。残り半分は参院で単独過半数を取ることだ。来年の参院選で達成できれば、俺の政治家としての仕事は終わる」
小沢が狙うのは伝統的な自民党の支持団体の切り崩しだ。十六年前に非自民連立政権を作った時も小沢は切り崩しを仕掛けた。側近の故中西啓介らが各団体の代表や関係省庁の官房長に会い「引き続き自民党を応援するなら陳情は受け付けない」と迫ったものだ。一年足らずで連立政権が空中分解したため成果は上がらなかったが、今回は民主党単独で三百議席を超す安定政権。「四年間解散はしない」という殺し文句には迫力がある。歯科医師会の次は医師会、その次は……。オセロゲームを楽しむように、小沢は着々と布石を打っている。
一方、二つの参院補選で完敗し、党再生の展望がまったく開けない自民党。民主党との対立軸をどこに設定するか。総裁選で善戦した河野太郎は「構造改革による経済成長・小さな政府」路線を基軸にすべきだと訴えたが、新総裁・谷垣禎一は明確な旗を打ち出すには至っていない。誤算は、ベテラン議員の抑え役になることを期待して起用した幹事長・大島理森が党改革より党内融和を優先し、ベテラン議員を積極的に登用、世代交代の機運を萎ませてしまったことだ。
代表代行や政調会長ポストを空席にして執行部をスリム化した小沢民主党と対照的に、谷垣自民党は従来原則一人だった幹事長代理を六人に増やすなどポストを乱発し、役員会合でも椅子に座れないメンバーが出るほどだ。
自民党が起死回生をかけて臨む臨時国会の論戦。その先頭に立つ政調会長・石破茂は民主党のアキレス腱である外交・安保問題で突破口を開こうと手ぐすねを引く。普天間問題が焦点となる十一月のオバマ来日前後に国会も一つの山場を迎えることになる。(文中敬称略)
【関連記事】

