コロナに直面した日本人の深層心理/『リング』鈴木光司

ベストセラーで読む日本の近現代史 第86回

佐藤 優 作家・元外務省主任分析官
エンタメ 読書

 最近、作家・鈴木光司氏の小説『リング』シリーズを読んだ。ホラー小説の歴史に残る名作だ。同日同時刻に4人の若い男女が激しい苦悶の表情を残して死んだことが物語の発端だ。4人の死をつなぐのは呪いのビデオテープだ。そこに映っていたのは、山村貞子という女性が見た奇妙な光景を念写したものだった。

『リング』には『らせん』『ループ』などの続編がある。原作もベストセラーだが、映画にもなりヒットした。米国でも映画化された。「貞子」は、化けものとして世界的に有名だ。「貞子」の名前を知っている人は多いと思う。

 実は、小説を読むよりも先に、『リング』シリーズの映画をすべて観た。7月18日に俳優の三浦春馬氏が亡くなり、大きく報道されたことがきっかけだった。三浦氏がどのような映画に出ているのか見てみようと思った。評者は三浦氏のことをほとんど知らないので、評者の好きな多部未華子氏と共演している『君に届け』という作品を観た。多部氏は女子高生を演じていて、長い黒髪で内気なことから、つけられたあだ名が「貞子」だった。評者は、「貞子」という名前に引っかかりを覚え、「そういえば……」と、『リング』『リング2』『らせん』『貞子3D』などを立て続けに観た。『リング』シリーズは、今、ネットフリックスやアマゾンプライムで配信されていて、簡単に観ることができる。小説も映画も、コロナ禍に直面した日本人が深層心理で抱えている不安を見事に対象化していると思った。日本人の無意識を形成している不安の根源には、人間関係から生み出された軋轢がある。嫉妬や恨み、パワハラ、セクハラ、アカハラなどのさまざまなハラスメント、SNSでの誹謗中傷がある。仕事ができない人を小馬鹿にしていると、いじめられた側、小馬鹿にされた側に恨みが蓄積して、そのうち化けて出てくる。そうなったら、決して許してもらえないという構成になっている。

ウイルスと不安の無限増殖

 鈴木氏は1991年に単行本で『リング』を上梓した。93年に文庫化され、評者の手元にある『リング』(角川ホラー文庫)は2018年の64刷だ。売れ続けているわけだ。

 中学高校時代にこの小説を熱中して読んだ世代が、現在、40代になっていて、社会の気運や国家意思を形成する上で、重要な役割を果たしている。一部の地方自治体の長がコロナ流行地域からの来訪の自粛を強く訴えたことや、自粛警察と呼ばれる自警団が現れ、自粛要請に従わない店舗に圧力をかけた事例についても、目に見えない恐怖にどう対応したらよいかを記した『リング』の処方箋に似ているところがある。呪いのビデオを観ると、念力によって人を窒息死させるウイルスに感染する。ウイルスの目的は何なのだろうか。

〈浅川は、書斎のドアを開けた。そして、何者かによって暗示された本、「人類と疫病」を手に取る。もちろん、浅川には暗示を与えたのがだれであるか想像がつく。竜司だ。竜司はオマジナイの秘密を教えるため、ほんの一瞬舞い戻ったのだ。/300ページばかりの厚さのこの本のどこに、オマジナイの答えが載っているのか。浅川は再び、直感が閃(ひらめ)いた。191ページ! その数字も、さっきほど強烈ではないが、脳裏に挿入されてきた。そこを開く。瞬間、浅川の目の中にひとつの単語が段階的にグッグッグと拡大されて飛び込んできた。

 増殖 増殖 増殖 増殖

 ウィルスの本能、それは、自分自身を増やすこと。『ウィルスは生命の機構を横取りして、自分自身を増やす』/「おおおおおお!」/浅川はすっとんきょうな声を上げた〉

 呪いのビデオを通じて、恐怖と死のウイルスを拡散することを貞子は目的にしている。この呪いから逃れるには、1週間以内に呪いのビデオをダビングし、誰かに渡さなくてはならない。「不幸の手紙」のビデオ版だ。

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source : 文藝春秋 2020年11月号

genre : エンタメ 読書