一多神教徒のつぶやき

日本人へ 第153回

塩野 七生 作家・在イタリア
ニュース 社会 国際 歴史

 今年のローマには、キリスト教徒の巡礼がどっと押し寄せることになるだろう。「ジュビレオ」(聖年)と決まった一年間にローマを訪れ聖(サン)ピエトロ大聖堂のその年にだけ開かれる「聖門」と呼ばれる扉を通ると、これまで冒した罪のすべてが帳消しになるからで、信者にしてみれば、死後の天国行きを保証されるわけだから意味は大きい。

 始まりは西暦一三〇〇年。その九年前に二百年つづいてきた十字軍勢力がイスラム勢によって完全に中近東から追い出され、イェルサレムに巡礼するのも容易ではなくなり、天国行きも絶望かと不安に駆られる信者を放っておけなくなったローマ法王庁が、イェルサレムには行けなくてもローマに巡礼すれば、罪のすべてが帳消しになることでは同じ、と決めたからであった。

 始めのうちは百年に一度だったのだが、まもなくこのイヴェントは、信者たちにカネを落とさせるには大変に有効とわかる。それで百年が五十年になり、そのうちに二十五年に一度になり、今回の「ジュビレオ」は、現ローマ法王がやると決めたから行われることになったので、「特別聖年」というわけ。なぜ今年に? 昨今とみに存在を主張し始めているイスラム勢を頭に置いてであるのはもちろんだ。

 そのイスラム勢の中でも超のつく過激派のISだが、FBIによれば、コロッセウムと並んで聖ピエトロ広場も狙っているとのことである。

 と言って、ローマが狂信的なイスラム教徒の的にされるのは、今が始めてではない。イスラム勢力の大拡張時代であった七世紀から八世紀にかけて、中東、中近東、北アフリカまでを制圧した彼らの合言葉が、次はローマの聖ピエトロ広場の噴水で馬に水を飲ませよう、であったのだから。

 しかし、一千二百年もの間実現してはいないのだからローマのIS化は心配していないが、心穏やかでいられないのは北アフリカ諸国の動向である。東から西に、リビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコ。これらの国々はすでにイスラム教国なのだから、ISに制圧されようと彼らの勝手ではある。だが、これらの国々の人々とISではちがう。一点だけをあげるに留めるが、普通のイスラム教徒は、ローマのコロッセウムのような歴史上の遺跡は破壊しない。あれは立派な観光資源でもあって、温存し開放したほうが観光収入になりますよ、という理(ことわり)が通じる人々なのである。偶像は破壊すべきの一念で暴れまわって恥じない連中とはちがうのだ。

 パルミュラが破壊されたと知ったときは心が痛んだ。四十年も昔、ダマスカスから着いたばかりの私を釘づけにした、あの美しさは忘れられない。

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source : 文藝春秋 2016年2月号

genre : ニュース 社会 国際 歴史