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楢崎、中澤、小笠原……レジェンドたちはJリーグに何を遺したか

JリーグMVP、クラブの象徴だった3人

2019/01/17
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 年末年始、サッカーファンに衝撃が走った。

 日本サッカー界を支えてきたベテランたちの現役引退が相次いだのだ。12月27日に“常勝軍団”鹿島アントラーズで20冠中17冠を経験したキャプテン小笠原満男が引退を発表。年の明けた1月8日にJ1歴代最多のフィールドプレーヤー連続出場記録(199試合)と連続フル出場記録(178試合)を持つ横浜F・マリノスの中澤佑二、そして2人が「ナラさん」と慕い、J1通算出場歴代最多記録(631試合)を誇る名古屋グランパスの楢﨑正剛がピッチを去ることを表明した。

JリーグMVPを受賞し、クラブの象徴だった3人

 3人より先に川口能活(SC相模原)が引退を発表。J3のリーグ最終戦に出場してセレモニーも行なっている。まさか年末年始になって「引退連鎖」が起こるとは思ってもみなかった。

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 川口の場合は「ロシアワールドカップでの日本代表の戦い、各カテゴリーの日本代表の戦いを見て、日本サッカーに違った形で貢献したいという思いが強くなった」と夏ごろには引退の決意を固めていた。だが3人はシーズン後、またはシーズン終盤ごろから進退と向き合ったうえで結論を出したと思われる。

 セイゴウ、ボンバー、ミツオ(年齢順)。

 3人の共通項に、JリーグMVPがある。時系列に言えば、中澤がリーグ2連覇を達成した2004年に日本人ディフェンダーとして初の受賞。小笠原はリーグ3連覇の2009年に、その翌年にグランパスが初優勝して楢﨑がゴールキーパー初受賞となった。

 無論、代表でのキャリアも豊富ながらここで取り上げたいのはあくまでクラブでの彼ら。楢﨑は名古屋に20年間、中澤は横浜に17年間、小笠原は鹿島に21年間在籍し、クラブのレジェンドとなってきたのだから。最高に輝いた1年をクローズアップするとともに、彼らのポリシーをレガシーとする願いをこめて。

2018年シーズンも22試合に出場していた中澤佑二 ©AFLO

中澤佑二、制空権を渡さないボンバーヘッド

 中澤佑二がMVPに輝いた2004年シーズン。

 岡田武史監督率いる横浜は前年、ファースト、セカンドの両ステージを制して完全優勝を果たしていた。04年のファーストも制し、浦和レッズとのチャンピオンシップでPK戦の末に2連覇を達成した。

 アウェーの第2戦のことは今も記憶に焼きついている。後半途中に味方が1人退場。クリアミスでゴールに入りかけたピンチも中澤が救った。PK戦に持ち込まれたというよりも、持ち込んだ。チャンピオンシップMVPも納得だった。1シーズン通して働き、リーグ最少の30失点。制空権を渡すことはなかった。

 センターバック出身の岡田はしみじみと語っていた。

「相手にフリーで持たれて中に蹴られても、ユージがいることではね返せる。高さがあるのはもちろんだが、しっかりとした読みがある。ウチにとってユージの働きは、本当に大きい」

 高さと読み。ジーコジャパンでもレギュラーを張るようになり、大事な場面でさく裂するボンバーヘッドは全国区になった。

日本代表がベスト16入りした2010年W杯。193cmのFWベントナー(デンマーク)にも競り負けなかった ©JMPA

「90分間、一切手を抜かない」

 以降も中澤は中澤であり続けている。

 岡田の教えをずっと心に刻んできた。

「岡田さんに言われたんです。まあ大丈夫だろうって思うことをするな。パスが来なくたって守るんだよ。シュートが来なくたって守るんだよって」

 90分間、一切手を抜くことがない。常にアラート状態を保って、ニラミを利かせる。中澤はイエローカードをもらう数が圧倒的に少なかった。イエローカードをもらう「無茶」はやらないが、徹底的に「無理」はする。高さよりも読みよりも、それこそが中澤の真骨頂と言えるかもしれない。

「危ないと思って全力でポジションに戻れば、ワンプレー、ツープレー(の時間)を稼げるじゃないですか。その時間を作ったら、味方が戻ってくることができる。瞬時の半歩でいいから(シュート)コースの切れるところを切っておけば、それだけでも違ってきますから」