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「もうダメかもしれない」産業革新投資機構・前社外取締役が明かした「崩壊の瞬間」

「我々が辞任したことは、国家・国民に対する誠実さを示したものだと思っています。できないことは安請け合いできませんし、無理にやったとしても、長い目で見れば、損失を被るのは国民の資産です」

 昨年12月28日、産業革新投資機構(以下、投資機構)の田中正明社長以下、民間出身の9人の取締役全員が辞任した。

 騒動の発端は最大で1億2千万円を超える代表取締役の報酬問題だ。所管官庁である経済産業省は当初、高額報酬を約束していたが、突如それを「白紙撤回」。両者の対立は、投資機構が運営するファンドのガバナンス問題にまで波及し、それに反発した経営陣が辞任を表明していた。

冨山和彦氏

 今回、投資機構の前社外取締役で報酬委員会委員長を務めた冨山和彦氏が、ジャーナリスト大西康之氏のインタビューに応じた。

「発足当初は、経産省との連携もスムーズで、グローバルなベンチャー企業を育てようという理念も共有できていたと思います」

 冨山氏が「話が違う」と思い始めたのは昨年11月3日のことだったという。

「この日の朝日新聞に、投資機構の代表取締役4人の報酬が『1億円超』になるという批判記事が出たのです。経産省で何が起きたのかはわかりません。高額報酬について批判されるのを恐れたのかもしれませんが、ただ、その頃から経産省の様子が明らかにおかしくなった。担当者が替わり、それまでの合意が反故にされ、言うことが変わった。腰砕けになってしまったのです」

帝国ホテルでの会合

――11月3日の朝日新聞の報道があった後、経産省と投資機構は協議を続けましたが、11月24日に帝国ホテルで行われた会合で遂に決裂してしまった。この場には、機構側からは田中社長ら4人、経産省からは嶋田隆事務次官ら4人が出席しました。

田中社長は「報酬1円でも来た」

「私は出席していないので詳細なやり取りはわかりません。ただ、そのときから経産省側の窓口が替わり、それまでの糟谷官房長ではなく荒井勝喜総務課長が取り仕切るようになったそうです。後日、荒井課長が提示したというペーパーを見たときは目が点になってしまいました。そこには、『金融ではなく産業をやれ』などと書かれていたのです」

――どういう意味なのでしょうか?

「私にもわかりません。一口に投資と言っても、一面から見れば金融ですし、他方から見れば産業でもある。視点の違いに過ぎません」

 そこには、〈金融(デリバティブ)〉との注釈も記されていたという。

「デリバティブという言葉を使うのであれば『投機』と表記すべきです。私は決して言葉尻だけを捉えて批判したいわけではありません。これは世界で勝ち抜くファンドを作るという目標の本質に関わる問題だと思っています。金融と投機の違いすら理解できていないにもかかわらず、運営方法に注文を付けるというのはいかがなものか。申し訳ありませんが、あのペーパーを見たとき、『正直、これはダメかもしれないな』と感じました」

文藝春秋2月号

 発売中の「文藝春秋」2月号に掲載された「産業革新投資機構『経産省は腰砕けだった』」で、冨山氏は、かつて最高執行責任者を務めた産業再生機構の立て直しなどに触れつつ、なぜ投資機構が崩壊してしまったのか、その理由を語っている。

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