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「人の顔色を見ながら賢く生きられなかった」 石橋凌62歳の生き様

石橋 凌(俳優・ミュージシャン)――クローズアップ

 石橋凌さんといえばスクリーンの中で存在感を放つ渋い名優だが、もうひとつの顔もまた「ガチ」である。解散した伝説のロックバンドA.R.Bのボーカルにして、ソロ活動10年目のシンガー。そんなふたつの顔を持つ石橋さんがデビュー40周年を機に全国8都市でのツアーを敢行する。

 

 ツアータイトルにもなっている『淋しい街から』は、18歳のときに故郷の久留米でつくった曲だ。5人兄弟の末っ子で、父は中学の時に他界。

「経済的には厳しかったはずなのに、なぜか家の中にはレコード盤とギターがありました。黒人音楽やビートルズ……みんな兄たちから教えてもらった。映画と音楽が学校でしたね」

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 19歳で上京、A.R.Bのボーカルとして華々しくデビューするが、その後の軌跡は順風満帆ではなかった。それも常に筋を通す不器用な生き方のためだ。「歌詞に一切、政治的、社会的なことを入れるな」という方針に逆らい、デビューしてすぐ事務所をクビに。

「ワンボックスカーで全国のライブハウスを回り、1年半カップ麺だけの毎日でした」

 27歳で松田優作さんと出会い、音楽活動を飛躍させるステップとして俳優の活動を開始。二足の草鞋を履くことに躊躇(ためら)いを感じていたとき、優作さんから「俳優でも歌手でも、表現者として生きていけばいいじゃないか」と言われた。その言葉通り、1人の「表現者」として40年間生きてきた。

 昨年末には、腕利きのジャズミュージシャンを集めたユニットでアナログ盤のアルバム『粋(いき)る』をリリースした。

「アナログレコードは音が素晴らしい。デジタルでは消されてしまう低音まで、深く豊かなサウンドになりました」

 石橋さんは、デジタル化の波の中で、音色だけでなく、人間までもが薄っぺらくなってしまうことを危惧している。