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「やりきった。ちゃんと悔いなく」安室奈美恵さんが私の前で語った“引き際”の美学

NHK「平成史スクープドキュメント」で総括した25年間の歩み

2019/02/21

 まだセミの声が残る去年8月31日。歌手・安室奈美恵さんが渋谷のNHK放送センターにやってきた。9月16日の引退前最後となる、独占ロングインタビューに臨むためだ。

 案内の途中、中庭に面した窓が続く廊下に差し掛かると、突然、安室さんの歩みが遅くなった。目線の先には、窓越しに望む1階の食堂。そこは、安室さんがデビューして間もない10代半ば、NHKに来るたびに利用していたという、当時の初々しい思い出が詰まった場所だった。

ステージ上の迫力の姿とは対照的な、物静かで深いオーラ

 長年テレビ出演を遠ざけてきた安室さんは今回、「この25年を振り返るという、自分ではそういう作業はできなかった」と、自身のキャリアを総括する取材を受け入れた。10代から40代にかけて、一度は君臨した歌姫の座から転落し最前線から姿を消すものの、安室さんは再び音楽史に残る記録を打ち立てて、トップに返り咲いていた。

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2004年、MTVビデオ・ミュージック・アワード・ジャパンにて ©getty

 なぜ、どん底から“奇跡の復活”を遂げることができたのか。周辺取材の過程で、平成の間に技術革新の波を受けて激変した音楽史の歩みと重なり合う部分が多いこともわかり、私は同時代のひとりとして、安室さんの考えや気持ちを純粋に知りたいと思った。

 安室さんがトークに苦手意識が強いと事前に聞き、シンプルで落ち着いた漆黒の空間を用意。ステージ上の迫力の姿とは対照的な、物静かで深いオーラを纏った安室さんが、言葉を尽くして2時間以上にわたり、語ってくれた。その言葉は、1月20日に「平成史スクープドキュメント 第4回 安室奈美恵 最後の告白」にて放送した。

孤独にもがいていた日々

1996年、第33回ゴールデン・アロー賞の授賞式で熱唱する安室奈美恵さん ©文藝春秋

 安室さんが10代にして最初に歌姫へとのぼりつめた平成の初期は、CDが音質の良さと扱いやすさで爆発的に売れた「CDバブル」にわいていた時期だった。音楽プロデューサー小室哲哉氏の元で、「歌って踊る」本格的なダンスミュージックのヒットを連発し、女性ソロ歌手の最多シングル売上を達成。

 今回のインタビューで安室さんは当時の自分について、ひたすら「敷かれたレールの上をきちんと走って行く」ことだけに集中し、それ以上の「自分」を意思表示する余裕はなかったと振り返った。そのため、景気の悪化で平成10年にCDバブルが頭打ちになり、安室さんの売上も低迷、小室氏とのタッグを解消してからは、どうやって自分で進むべきレールを敷けばいいのかわからず、孤独な手探りの日々に陥ったという。

 その頃、自ら作詞作曲する若き女性シンガーソングライターが共感を集め、世の中が求める音楽も変化。安室さんは、自らキーボードなどの機材をそろえて密かに作曲を試み、挫折を味わいもしたという。「もっとこうしなきゃいけない」と自身をがんじがらめにし、孤独にもがいていた。