文春オンライン

震災がきっかけで「祭り男」へ――亡き祖父の思いを継いだ神輿職人

被災地と「自分」を再生したのは神輿造りだった

2019/03/11
note

 東日本大震災を契機に、亡き祖父の思いを継いだ神輿職人がいる。宮田宣也さん(31)だ。2011年3月、茨城県つくば市内の自宅も震度6弱で大きく揺れた。当時は大学院生でそのまま留まることもできたが、津波に被災した東北沿岸部の状況をテレビで見たことで、「大変な人たちがいるのに、このまま日常を過ごしてもいいのか?」との思いを抱き、自転車で東北に向かった。

 そこで被災者と過ごす中で、神輿を作り、そして地域の神社の祭りを残したいと思うようになった。祭りへの思いは今、ヨーロッパにも広がっている。宮田さんの思いの原動力はなんだったのか。

インタビューに応じてくれた宮田宣也さん ©渋井哲也

「今、行っても無駄だ」と言われたが……

 震災直後、つくば市では停電があり、断水もした。大学構内は立ち入り禁止にもなった。「大変なことが起きた」と思っていた。しかし、テレビがつくと、東北沿岸部に津波が襲ったことを知った。「ここで日常を過ごしていいのか?」と思うと、落ち着かない。そこで、自転車で一人、東北へ向かうことにした。

ADVERTISEMENT

「あてがあったわけではない。家族や友人、先生たちにも『今、行っても無駄だ』などと言われて、止められた。でも、何かしらやれることがあると思った。ないとしても、それを確認しないと、精神状態が落ち着かなかった」

東日本大震災の津波で大きな被害を受け、車などが散乱した宮城県石巻市の市街地 ©共同通信社

 被災地で何が足りないのかを想像すると、道具だと思った。だから自転車には大工道具を詰めた。テントなどを含めて200キロを超えた。大工道具を持っていたのは、職人だった祖父の影響で、大学で神輿を造っていたからだ。

「被災地でも動ける人はいるだろうが、道具がなければ、技術を持っていても何もできないはず」

「爺さんに聞きながら神輿を作った」

津波で流され道路をふさぐ漁船 ©共同通信社

 被災地でのつながりで、宮城県石巻市雄勝町でボランティアをするようになる。そこで地元の人から「祭りがしたい」との声を聞く。11月、被災した雄勝庁舎の近くに出来ていた復興商店街の祭りが行われた。商店街で作られた神輿は、雄勝小学校近くにあった新山神社の瓦礫で作ったものだった。

「爺さんに聞きながら神輿を作った。祭りの1ヶ月前に亡くなったが、神輿造りがあったので、精神状態が保てた。完成させないと意味がない。爺さんの思いを形にできることや、雄勝の人も待っていてくれること、そして、仲間もいたので、なんとか間に合った」