昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

「おさみしいでしょう」なんて大きなお世話 70歳の社会学者・上野千鶴子が「在宅ひとり死」を勧める理由

「孤独死」なんてこわくない

2019/03/31
上野千鶴子さん

 ひとりでいるだけで「おさみしいでしょう」と言われるのを、大きなお世話だ、と言いたいために『おひとりさまの老後』を書いた。

 その後、ひとりで家で死んでいても「孤独死」と言われたくない、と『おひとりさまの最期』を書いた。だからよくもわるくもなく、すっきりさっぱり、「在宅ひとり死」ということばを作りだした。わたし以外に使っているひとはいないので、©ChizukoUenoなんである。とはいえ、ケチなことは言わない。どんどん使って広めてほしいと思う。

 孤独死の定義には次のような条件がある。

(1)単身者が自宅で死んで、(2)立ち会い人がおらず、(3)事件性がなく、(4)死後相当期間以上経過して発見されたもの。

 孤独死でいつも問題になるのは、死後の発見が数週間から数ヶ月も遅れること。死体は腐乱し異臭が漂い、悲惨なことになる。それを防ぎたければ死後の発見を早くしさえすればよい。心配はいらない。ほとんどの年寄りは死ぬ前に要介護になる。要介護認定を受けてケアマネージャーがつけば、人の出入りがあって、かならず早期に発見してもらえる。ピンピンコロリは突然死。のぞんだからといって、できるものではない。

 ふつうの高齢者の死に、ほとんど事件性はない。現場を見れば、事件性の有無はわかる。遺体をみつけたからと言って、動転して119番や110番する手を止めれば、警察が立ち入ったり、解剖にまわされたりしないですむ。

 単身者が独居の在宅で死んで、何が悪い。ひとりで暮らしていることが当たり前なら、そのまま在宅で要介護になればいい。介護保険の居宅介護支援サービスを使って、そのまま家に訪問介護にきてもらったり、他人に会いたければデイサービスに通えばいい。そのうち動けなくなれば、訪問看護と訪問診療に入ってもらえばいい。そのうち食べられなくなり、飲めなくなり……そうなれば、長くない。そしてある日、ひとりで家で死んでいる……それでいいではないか。

 最後に残るのは、立ち会い人がいるかいないか。いつもひとりでいるのがあたりまえの家に、死ぬ時だけ、親族縁者が大集合するってヘン、じゃないだろうか? 「死に目に逢いたい」は、死ぬ側の気持ちだろうか、死なれる側の気持ちなんだろうか? わたしはこれを「看取り立ち会いコンプレックス」と呼んだ。臨終の席で泣き叫ぶより、別れと感謝はできるときにしておけばよい。

 そう考えれば「孤独死」なんてこわくない。孤独死統計も定義を変えればよいと思う。

文藝春秋4月号

※ひとりで暮らしている年寄りがひとりで死んだからといって「孤独死」とは呼ばれたくない――人生の終わりを心穏やかに迎えるヒントが満載の上野千鶴子さんの短期集中連載『「在宅ひとり死」のススメ』は、「文藝春秋」4月号よりスタートしています。ぜひあわせてお読みください。

この記事の写真(2枚)

ツイッターをフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー