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長野久義のヒゲと2019年カープの行方

文春野球コラム ペナントレース2019

2019/03/29
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 男がヒゲを生やす時、そこに何らかの意味があるのだろうか。そのようなことを考えたのは、オープン戦が始まって日に日に口周りのヒゲが濃くなっていく長野久義の姿を見たからであった。

 巨人にFA移籍した丸佳浩の人的補償としてカープに入団した長野。安仁屋宗八氏がオープン戦の解説中に思わず「丸とのトレードで獲得した」と発言してしまうほどの大物選手であり、長野本人の人柄もあいまってカープファンの間では開幕前から「長野フィーバー」が起こっている。この騒ぎの中で取り上げられた話題が「果たして長野はヒゲを生やすのか?」であった。

 長野の古巣である巨人では、茶髪やヒゲは禁止されていると言われる。確かに1994年に横浜から移籍した屋鋪要など極少数の例外を除けば、巨人でヒゲを生やしている選手はいない。日本ハム時代に立派なヒゲを生やしていた小笠原道大が、2006年オフにFA権を行使し巨人に入団した際、「けじめ」として綺麗に剃り落としたのも象徴的な出来事である。

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 そのような巨人からヒゲが容認されているカープに移籍してきた訳であるから、長野のヒゲに注目が集まるのも無理のないことであった。スポーツ報知では早速「ひげ&長髪解禁で『ワイルドチョーさん』に変身!?」との見出しで「アルモンテ風ひげ、中田翔風ひげ、菊池風ひげ」の加工を施した長野の顔画像を掲載していた(1月24日)。

長野に似合うヒゲ予想 ©オギリマサホ

なぜヒゲは禁止事項になってしまったのか

 しかしここでふと疑問に思う。「紳士たれ」という理由からヒゲが禁止されているという話を聞くが、我々が「紳士」と聞いて思い浮かべる男性のイメージには大抵ヒゲが生えている。なぜヒゲは禁止事項になってしまったのだろうか。

 阿部恒久『ヒゲの日本近現代史』(講談社現代新書)によれば、明治期以降、ヒゲは文明の象徴、支配者の権威を示すものとして社会的地位の高い人に取り入れられていったという。その後、戦後の高度経済成長下におけるサラリーマン社会では「ヒゲ無し」が良しとされ、長髪や無精ヒゲは非体制・反体制の記号として機能するようになったということだ。つまり我々が「紳士のヒゲ」として思い浮かべるものは高い地位の象徴として整えられたヒゲであり、球団側が規制したいのは反体制としての無精ヒゲなのではないだろうか。とは言え、野村克也監督時代の南海ではヒゲが禁止されていた江本孟紀が、阪神移籍後にはきちんと整えられた口ヒゲを生やしたことを考えると、「ヒゲ禁止」を掲げる球団においては無精ヒゲも整えられたヒゲも一緒くたに見られているのかも知れない。

 一方ヒゲが禁止されていない球団では、以前からヒゲの選手は少数派ながら存在した。しかしその選手たちの顔を、木下富雄(カープ)、松沼博久(西武)、山内孝徳(南海)、斉藤明夫(大洋)、藤本博史(ダイエー、オリックス)……等々思い浮かべてみると、1990年代前半頃までの選手のヒゲといえばほぼ「口ヒゲ」であった。なぜかと考えるに、「それがオシャレだったから」ということではなかっただろうか。

 前掲書においては、1960年代以降には「オシャレ・男らしさを演出するためのヒゲ」の流れがあることも指摘されている。それはきちんと整えられたヒゲが対象であったが、1990年代後半になると突如として無精ヒゲが「オシャレ」「ワイルド」として雑誌の特集に取り上げられるようになり、野球界でもイチローが代表格として紹介されていた。ここから野球選手の無精ヒゲ時代が始まるのである。

 しかし「オシャレ」なのはあくまできちんと計算された「無精ヒゲ風」なのであって、一歩間違えれば「身だしなみの整っていない人」と判断されて批判の対象になってしまう。カープで言えば長谷川昌幸のヒゲに賛否両論あったのも、こうした「無精ヒゲ風」演出の難しさを表しているように思う。

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