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連載『めちゃイケ』、その青春の光と影

「160cmもないでしょ?」『めちゃイケ』片岡飛鳥と“無名の”岡村隆史、27年前の出会いとは

フジテレビ・片岡飛鳥 独占ロングインタビュー#5

 フジテレビ・チーフゼネラルプロデューサー片岡飛鳥氏のロングインタビュー第5回。今回も人気のテレビっ子ライター・てれびのスキマさんがじっくり聞きます。(全11回の5回目/#1#2#3#4#6#7#8#9#10#11公開中)

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「ウッチャンナンチャンはキミが作ったわけじゃないんだからね」

<片岡飛鳥がディレクターとしてデビューしたのは『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』。『ひょうきん族』や『めちゃイケ』と同じ、土曜夜8時の枠で1990年10月13日から始まったコントを中心としたタレントバラエティだ。当時チーフディレクターを務めていたのが、ウッチャンナンチャンを新人時代から起用していた吉田正樹(※1)だった。>

 さっきも言いましたが、僕はADになってまだ2年、経験としては不可欠なチーフADすらやったことがなくて、サードADの立場から『やるならやらねば』のディレクターに抜擢してもらったんです(→#3)

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フジテレビ・チーフゼネラルプロデューサー片岡飛鳥氏

 その吉田さんから言われて印象に残っているのは「キミには総合演出の苦労はわからないから」という言葉。なかなか刺激的な言葉でしたね。あの人は“文化武闘派”みたいなところがあるから、時々穏やかにケンカを売ってくるんです(笑)。僕はウッチャンナンチャンと年齢が同じでわりとうまく行っていたんですよ。同い年だから同じ小学生の時にドリフを見て、同じ高1で『THE MANZAI』や『(3年B組)金八先生』も見てる。そうやって同じ青春時代を過ごしているからカルチャーに限らず会話も合うわけじゃないですか。演者とスタッフってそこがわりあい大事で。

『やるならやらねば!』の台本。今回のインタビューに際し、スタッフルームから発掘されたもの。「ディレクターデビューした思い入れからか、ほとんどの担当コーナーの台本を保管していました」(本人談) ©フジテレビ

 今にして思うと、吉田さんからは僕がウンナンとキャッキャしてるように見えたと思うんですよね。総合演出って、視聴率はもちろん、日々いろんなことを心配してヒイヒイ言いながらやってるのに「お前はいいな、楽しそうで」って。そりゃあ、そう思いますよね。責任は全部、吉田さんがとってくれる中で、セカンドディレクターの若造が無責任に楽しそうにやってるわけですから。そんなある日、酒を飲んだ時に決定的なケンカを売られたんです。「ウンナンはキミが作ったわけじゃないんだからね」と。もう返す言葉もなかった。吉田さんのセリフがストレートに刺さって、「キミが作ったんじゃない、キミが作ったんじゃない……」ってリフレイン。今日は全然酔っ払えねえなって(笑)。でも、それからほどなくして、実はこういう番組を考えてるんだって話してくれたのが、後に『新しい波』となる構想だったんです。