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特集観る将棋、読む将棋

負けて「駒を嚙んだ」 光速流・谷川浩司の兄弟喧嘩

「天才棋士たちの仰天エピソード」

2019/05/02

 攻めの速さから光速流の異名を持つ十七世名人・谷川浩司。幼い頃は5歳上の兄と喧嘩ばかりしていた。見かねた僧侶の父が兄弟に将棋を勧めた。2人はまたたく間に将棋に目覚めたが、結果的に喧嘩の数は余計に増えた。負けず嫌いの谷川は「駒を投げつけたり、噛んだり」したらしい。プロを夢見ていた谷川兄弟は、神戸のイベント対局で内藤國雄と指した。この時、内藤に勝ったのが小学生だった弟の谷川で、後に奨励会に進む。緊張のため負けた兄はその後、アマチュア日本一の座を得ることになるのだから宿命は奇なりだ。プロデビューは中学2年生。21歳で加藤一二三を下して最年少名人に就位する。

©文藝春秋
谷川浩二氏 ©文藝春秋

 谷川将棋を語る上で代表的な一戦は、1995年、羽生善治との王将戦だ。当時の羽生は6冠王。谷川から王将を奪えば、初の7冠制覇と全国が注目した。

 タイトル戦の最中である1月17日、阪神・淡路大震災で谷川は被災。棋戦出場のため、11時間をかけて神戸を脱出する。厳しい環境の中、七番勝負は最終局までもつれ込んだ。奥入瀬で行われた対局は2日目に千日手で指し直し。その再試合も40手まで異例の同一手順で進む。あわや再び無効試合かと思いきや谷川が手を変える。午後9時18分、追い込まれた羽生が投了を告げた。被災地の期待を背負い、羽生の七冠を阻止した名局である。

たにがわこうじ
1962年、兵庫県生まれ。十七世名人。前日本将棋連盟会長。21歳の名人タイトル獲得は今もなお最年少記録として残る。

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出典元

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2018年5月3・10日号

2018年4月25日 発売

特別定価460円(税込)

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