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こうすると左足が動くのよ。“さあ、一緒に遊ぼう!”――優しいやまんば 市原悦子のことば

2019/04/28

 20年前、初めて『AERA』の「現代の肖像」に人物ノンフィクションを書くことになった時、真っ先に思い浮かんだのが市原悦子さんだった。

 わたしは何よりも市原さんの声が好きだった。毎週土曜の夜7時に始まった『まんが日本昔ばなし』では、ささくれた心が優しくなでられるような気がした。

市原悦子さん ©駒澤琛道

 佐藤愛子が「美人にあらず、不美人にあらず」と言った市原さんの顔も好きだった。接するたびに親しみを覚え、不思議と幸せな気持ちになれる福顔だった。彼女の顔は自分の身近な人に似ているようで、実は誰にも似ていない。市原さんの演じる『岸壁の母』や『家政婦は見た!』の主人公は、声同様、役ごとにさまざまな表情を見せた。

 当時わたしは46歳のシングル。30代で一度人生は終わり、40代は余生のように感じていた。前年には母も亡くし、都会での一人暮らしが心細くなりかけていた。もしも市原さんの知己を得られたら、そう想うと胸にぽっと明かりが灯った。

 わたしは「取材申し込み」という名のラブレターを一生懸命書いた。願いは届き、都ホテル東京での講演「わたしの選んだ女優の道」の後、会えることになった。1999年2月2日、『AERA』の編集者といっしょに、初めて市原悦子さんと対面した。窓のある控え室、その中央のイスに腰掛けた市原さんは、濃いグレーの地にワインカラーの花をちりばめたワンピースがよく似合った。実物はテレビで見るより、ずっとほっそりしていて若々しかった。

「初めまして。沢部と申します。どうぞよろしくお願いします」と挨拶すると、市原さんは「こちらこそよろしく」と言った後、突然「大丈夫なの? 書けるの?」と聞いた。彼女独特のジャブの一撃だった。わたしは笑顔で「大丈夫です」と返した。彼女は「クックッ」と喉の奥で笑った。

「『現代の肖像』では、20人以上の関係者に取材をさせていただきます」と編集者が伝えると、市原さんは「そんなに大勢の方に取材するの、たいへんね」と言い、すぐさま付き人に「これから挙げる人たちの連絡先を教えてあげてちょうだい。岩上廣志先生、今村昌平監督、脚本家の柴英三郎先生、竹山洋さん、山田太一さん、それから……」と読み上げた。仕事のできる女社長の風格があった。

 それから7ヶ月あまり、舞台稽古、ロケ現場、朗読と歌のステージなど、北は北海道から南は九州まで、わたしは市原さんについて回った。1999年11月8日発行の「現代の肖像」に書いた題は「『ふつう』顔に秘めた女神の輝き」。わずか4ページの原稿にわたしは最大の情熱と情報を注ぎ込んだ。

 市原さんは「引き締まった文体ね」とほめてくれた。「いつか本を書かせてください」と頼むと、「いいわよ。でもずっと先にね」と言った。