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2019/04/28

 1月6日、80日ぶりに再会した市原さんは最初、無言でベッドに伏したままだった。往年の大女優、杉村春子に「市原悦子というひとは、せりふと体がいつでもいっしょに動く俳優なんです」と言われたほど、市原さんは体がよく動いた。左の手足が動かなくなれば、役者としての再起は絶望的だろう。

 市原さんの肌は白くて皮膚が薄い。血管が細くて注射針が入りにくく、右手の甲がひどく内出血していた。わたしがその手を取り、しばらく温めると、不思議なことに黒紫色が引いた。市原さんはそれを見てやっと嬉しそうな顔をした。しびれと痛みの残る手足をオリーブオイルでマッサージすると、「気持ちいいわ、ありがとう」と声が出た。

 体を起こし改めて表情を見ると、ステロイドの投薬量が増えたせいで、顔はパンパンにむくみ、心なしか目が大きくなっていた。こちらの驚きに気づいたのだろう。「わたしは閻魔(えんま)様のいちばん下の家来で、地獄の門番をしております」と言って笑った。病室の白い壁には「賀正 明けましておめでとうございます 2017年元旦 悦子」という書き初めが、和紙にしっかりした筆致で書かれていた。

 

 その日の午後のことだった。

「沢部さん、面白いことを発見したのよ、ほら、見て」

「えっ、何ですか」

「こうすると左足が動くのよ。『さあ、いらっしゃいよ。一緒に遊ぼう!』」

 ベッドの上で市原さんはしきりに麻痺した左足を動かそうとして見せた。おとなしくて尻込みしがちな妹(左足)を、活発なお姉ちゃん(右足)が誘い出す。ベッドの上の一人芝居だ。市原さんの役者魂は健在だった。

 済生会中央病院の旧病棟の窓からは、東京タワーがよく見えた。その日、わたしは彼女の髪を頭のてっぺんにまとめる「タワー編み」を試みた。市原さんは髪をいじってもらうのが好きだった。頭に小さな東京タワーを乗せて、書き初めの前でポーズを取る市原さんを、わたしは何枚も写真に撮った。

出典元

皇太子が漏らされた秋篠宮さまへの憂慮 「抗不安薬」「千鳥足」

2019年4月25日号

2019年4月18日 発売

定価420円(税込)