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ついに輝き始めたファイターズ・平沼翔太 小林繁さんに見せたかった未来の姿

文春野球コラム ペナントレース2019

2019/05/10
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 大型連休の間のプロ野球中継は、スタンドに子供達の姿が目立ちました。各テレビ局のカメラマンが意識して映していたというのももちろんあるのでしょうけれど、デーゲームが多く子供向けイベントも数々あって、実際にたくさんの子供達が来ていたのだろうと思います。

 4月28日の札幌ドームでは場内アナウンスやヒーローインタビューを子供達が担当しました。こういう企画を見る度に、「この子の心の中でこの先どんな思い出になっていくのかな」と考えます。ファイターズを、プロ野球を、これからもずっと好きでいてくれるかな。好きでい続ける理由のひとつとなるような、そんな嬉しい記憶として残してくれるのかな、と。

 幼い日に初めて触れた野球と、これからどんな付き合い方をしていくことになるのか。どんな可能性が将来に開けているのか。

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 未来は誰にも読めません。

プロ野球選手になった少年たちと、そのきっかけ

 たとえば、1988年のこと。小学2年生の小谷野栄一という男の子がお父さんに連れられて、ファイターズの試合を観に行きます。東京ドームに足を踏み入れたその時には、小谷野少年はまだ知りません。これから始まる試合が、自分にとって運命の出会いになるということを。ファイターズのショートを守る田中幸雄のプレーに魅せられて、野球をやろうと心に決めます。そしてリトルリーグでは松坂大輔という同い年の少年と出会い、やがて大人になってプロ野球選手となり、田中幸雄とチームメートになりさえする訳ですが、そんな未来が自分を待ち受けているということを、その時はもちろん何も知らずにいるのです。

 あるいは、1993年のこと。秋の中国地区高校野球大会準決勝で、広陵高校2年生の二岡智宏は試合に出られませんでした。骨折していたからです。それでもブルペンに入り、監督に叱られても投げ続けていました。その姿がひとりの中学生に強烈な印象を与え、広陵進学を決意させることになるのですが、17歳の彼自身は知る由もありません。試合に出てもいない自分が、見知らぬ年下の少年の心をそんなにも大きく動かすことになるなどとは。そしてその少年、14歳になったばかりの稲田直人もまだ知らないのです。憧れの人と自分とが、プロ野球選手として同じユニフォームを着る日が来るということを。

 さらに、1995年のこと。ヤンキース傘下のマイナー選手、高卒3年目のフェルナンド・セギノールはエクスポズへのトレード通告を受けます。20歳の彼にとってそれは、おまえは必要ないと言われた、としか受け取れないものでした。もう世界は終わりだとまで打ちひしがれる彼を、トレードを告げた32歳の青年監督トレイ・ヒルマンは励まします。ヤンキースが手放したいのではない、エクスポズが君を欲しがってるんだ、と。

 その後、エクスポズ、オリックス・ブルーウェーブを経てヤンキースに戻ったフェルナンド・セギノールのもとに再び日本からオファーが届きます。最初は興味を持てなかった彼でしたが、監督の名前を聞いて心が動きました。トレイ・ヒルマンが監督を務めるファイターズで彼はプレーすることになります。9年後のそんな再会を、その時はまだどちらも夢にも知りません。

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