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ベイスターズ人気の復刻ユニは湘南カラー なぜ弱い時代のものが人気なのか

文春野球コラム ペナントレース2019

2019/05/16
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 今シーズン、横浜DeNAベイスターズが球団創設70周年のイベントを行っている。スタートしたのは昨年の11月22日。70年前のちょうどその日に、前身のまるは大洋球団が創設されている。そこから1年間続くロングランのイベントである。私はプロ野球のユニフォームやデザインについての本を何冊か書いているので、復刻ユニフォームの監修などでお手伝いをしている。

 3月10日に山口県下関市で行われるオープン戦のゲームでは、球団創設時の初代ユニフォームが復刻され、選手たちがそれを着用してプレーする予定だった。3月10日というのは69年前のその日、セントラル・リーグが開幕して、大洋ホエールズが創設第1戦を戦った日。しかも場所は下関球場だった。今回の球団創設70周年のタイムスケジュールは、かなり綿密に練られているのである。しかし残念ながら10日の下関の試合は雨で中止。初代復刻ユニフォームの着用は、3月21日の横浜スタジアムでのオープン戦に持ち越された。

 今回のイベントのために、数多くの各時代にあわせたグッズも製作されている。中でも人気なのが、1974年から77年にかけてのオレンジとグリーンが使われていた湘南ユニフォームの時代だ。78年の横浜移転の直前の時期で、川崎球場時代の大洋ホエールズ最後のユニフォームだ。

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オレンジとグリーンが使われていた1974年から77年にかけてのユニフォーム ©イワヰマサタカ

湘南カラー誕生のきっかけ

 このユニフォームを初めて目にした時のことは、今でも鮮明に覚えている。

 それは大学受験が終わって進学先が決まり、ウキウキした気分で日々を送っていた最高の春休みの一日だった。昼過ぎに起きてテレビをつけると、読売ジャイアンツとユニフォームがオレンジ色の上着で、グリーンの帽子をかぶったチームが試合をしている風景が目に飛び込んできた。オープン戦の中継であった。

 当時のプロ野球では、前年の73年に太平洋クラブライオンズが真っ赤な上着のユニフォームを採用して、各方面から「なんだあれは」と、顰蹙をかっていた。で、「今度はオレンジとグリーンかよ。いったいどこのお調子者球団だ」と、思って見ていると、なんと我が贔屓球団の大洋ホエールズであることがすぐに判明した。

 その瞬間、私の頭の中では速やかなる価値観の転換が行われていた。

「大リーグのイエローとグリーンのオークランド・アスレチックスみたいで格好いいじゃん」

 現金なものである。

 だが実際の話、このユニフォームのヒントとなったのはオークランド・アスレチックスだった。川崎を走る湘南電車と同じ色なので、湘南カラーと呼ばれているが、その由来は別のところにあった。

 私はユニフォームの採用当時にヘッドコーチで、提案者だった秋山登さんご本人に取材して「アスレチックスのようなユニフォームにしたいと、漠然と思っていたのが湘南カラー誕生のきっかけ」と聞いている。で、そのコンセプトとして秋山さんがテーマに据えたのが静岡だった。当時ドラフト1位で入団したのが静岡出身の東京六大学のスター山下大輔選手。キャンプ地も静岡。そこで静岡の名産品のみかんとお茶からオレンジとグリーンのユニフォームを中部謙吉オーナーに提案したという話だった。秋山さん本人も認めていたが、アスレチックスのようなユニフォームを作りたくて、かなり強引なコンセプトだったが、中部オーナーは「食品会社である親会社のイメージにピッタリ」とあっさり賛成、採用されたそうだ。

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