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「人をいっぱい轢いちゃった」 池袋暴走事故、87歳の元通産官僚は「ものすごい先生」だった

「物凄い先生ですよ。計量学の権威なんです。何とも言えない毛並みの良さもあって。1カ月前に計量史学会の会議が神楽坂の日本計量会館でありました。その時も飯塚先生だけ車で来ていて、会館に横付けしていた。ただ、歩く時は杖をついていて、会議後、先生に『ちょっと肩押さえてくれ。押さえてくれないとまずいんだ』と言われ、肩を支えて車まで行ったんです。前に『先生、よくこんな細い路地のところを運転できますね』と聞いた時には、『段差のある所は転ぶから嫌で。車を運転した方が楽なんです』と言っていたんだけどね……」(日本計量史学会副会長の黒須茂氏)

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 旧通産省の飯塚幸三元工業技術院長(87)が自家用車のプリウスで東池袋の大通りを約150メートルにわたって暴走したのは、4月19日正午過ぎ。8人の通行人を引き倒し、自転車で横断歩道を渡ろうとしていた松永真菜さん(31)と長女・莉子ちゃん(3)の死亡が確認された。

プリウスのフロントが大破

「警視庁が押収したドライブレコーダーに同乗していた妻から『危ないよ、どうしたの』と言われ、『あぁ、どうしたんだろう』と答えている飯塚氏の声が残っていました。事故直後、飯塚氏は息子に錯乱状態で電話し、『アクセルが戻らなくなり、人をいっぱい轢いちゃった』と話していたそうです」(社会部記者)

通産省時代の華麗な経歴

 今回の事故を引き起こすまでの飯塚氏の経歴は、それは華麗なものだった。

飯塚元院長(ブログ「『計量計測データバンク』とその情報」より)

 旧制浦和高校、東京大学工学部を卒業後、1953年に通産省に入省。技術畑を歩み86年、傘下に13の研究所と約3000人の研究者を抱える工業技術院長に上り詰めた。

 通産省時代の同期で田中角栄元首相の秘書官でもあった、小長啓一元通産事務次官が振り返る。

「工業技術院長は技術職としては最高のポスト。飯塚さんは傑出した能力、調整力、リーダーシップを発揮していました。第一次石油危機の際には、再生エネルギーなどの議論を進める『サンシャイン計画』に関わっていたと思います」