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柴田理恵60歳、“おばさん”の記号をあえて笑顔で背負う理由

ジェーン・スー『彼女がそこにいる理由』

週刊文春WOMAN』2019 GW号の発売を記念して、『週刊文春WOMAN』を代表するジェーン・スーの人気連載「彼女がそこにいる理由」第1回を特別公開する。

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 テレビをつければ、画面にはいつものメンツが映っている。彼ら彼女たちはいつだって一定だ。騒がしい人は毎度騒がしく、賢い人は常に賢く、よく笑う人はなんにでもよく笑う。人物の印象が変わることはほとんどなく、むしろ変化の兆しが見えるとそのまま画面から消えてしまうことも多い。

 テレビの人気者はまるでドット絵だ。キャラクターは極限まで単純化され、人気の度合いは視聴率という数字で作り手に共有される。「あのタレントは何パーセント持っている」という考え方。つまり、人気者をドット絵にしているのは、他ならぬ私たち視聴者なのだ。

 それぞれに役割があるため、テレビの人気者たちが多面性を求められる場面は少ない。しかし、常に一定でいることがプロの証である人々にも、画面には映らない横顔があるはずだ。

 私が見たいのは、綺麗にまとまった「意外な一面」ではない。繊細な水彩画や力強い油絵で描かれた顔、特に女性の顔が見たい。彼女がそこにいる理由を、この目で確かめたいのだ。

 編集部を通し、一度だけお会いしたことのある女優の柴田理恵さんに取材を申し込んだ。

本連載はイラストレーターの那須慶子さんとのコラボレーション。インタビューに立会った那須さんが、テレビや広告とは異なる、普段の柴田さんを描いたのがこちら。

テレビでは素通しの眼鏡を掛けている

 柴田理恵と聞いて頭に浮かんでくるのは、ひっつめ頭に眼鏡を掛けたあの姿。しかし、以前ラジオ番組のゲストとして私の前に座った彼女は、長らくテレビや広告で見てきた柴田理恵とは別人だった。髪をおろし眼鏡は掛けておらず、緑がかった琥珀色の瞳はヘーゼルナッツのように輝いている。強く、美しい瞳だった。まごうことなき看板女優の風格。なぜ、こうも印象が違うのだろう。

「一昨年くらいまでは分厚い眼鏡をかけてたんですけど、白内障になって。そのとき、近眼が解消される眼内レンズを入れてもらいました。誰だかわからなくなると困るから、テレビでは素通しの眼鏡を掛けてるんですけどね」

 赤い口紅にひっつめ頭と眼鏡。馴染み深い柴田理恵像は、テレビに出始めた頃、自分で決めた。

「髪形を決めちゃえば楽だと思って。出るたびにメイクさんにいろいろお願いするのも大変だから、ひっつめて頭の上にポンッとつけ毛を乗せてくださいって」

 面倒が先に立ち、勢いで決めた容姿はトレードマークになった。こんなに長く続くとは、本人も思っていなかったかもしれない。

「どんなかわいい子かと思ったら、おまえかよ」

 理恵という名前は父が付けた。「理屈に恵まれるように」という変わった願いが込められているが、これは父が彼女に弁護士になって欲しかったからだ。

第二回・君島十和子編は『週刊文春WOMAN 2019GW』にて

「理恵って書いて、『よしえ』って読ませようとしてたみたい。『りえ』って、昔はちょっと派手な名前だったんです。学校の先生だった母は、バーの女給のような名前だって嫌がって。たみことか、明子とか、そういう名前が普通だった時代の話。『よしえ』はまだ許されるムードだったらしいんですけど、母の同僚たちから『理科の【り】なのに、【よし】って読ませると小学校に入って苦労する。このまま【りえ】と読ませた方がいい』って言われて理恵になったと聞きました」

 この世に生を受け、期せずして華やかな名前を纏った柴田は、クラス替えのたびに「どんなかわいい子かと思ったら、おまえかよ」と落胆される羽目になる。名前から勝手に想像される容姿は確かに存在するが、なんとも忍びない話だ。余計なプレッシャーを背負いながら、柴田はどんな幼少期を過ごしたのか。

「女の子然としたものは、ほとんど着せてもらえなかったかな。お下がりは母の同僚の息子の服ばっかり。ずーっと、ズボンしか穿いたことなかった。色は青とか紺」