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通電、監禁、肉体関係……連続殺人犯はこうして女性を洗脳して“獲物”に仕立て上げた

ケース2・松永太 北九州監禁連続殺人事件#2

2019/06/01

「王様と奴隷でした」……北九州監禁連続殺人事件で7人が殺害されるまでのおぞましい手口〉から続く

 ある種の“実験場”と化した『ワールド』時代の経験を経た松永は、その残酷な知識を更に発展させ、新たな獲物を探し、殺し続ける。

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1992年10月、指名手配され夜逃げする松永と純子

©iStock.com

 いずれ俺がこの町を制覇する─。

 詐欺まがいの手段で得たカネをばらまき、柳川市内の夜の街でそう豪語していた松永だが、『ワールド』の内情は、1980年代後半にはすでに火の車だった。

 本業の布団訪問販売業では、これまでの名義貸しなどの詐欺商法を看破され、信販会社の加盟店契約を解除されることが相次いだ。そのため出資者を集めてヤミ金を始めたり、手形を騙し取るなどして、自転車操業を繰り返していた。

 1985年2月から経理担当社員として加わった純子のほか、常に5人ほどいた従業員は、通電の恐怖に耐えかねて1人、また1人と逃げ出した。1988年5月の段階で松永と純子、そして通電の実験に利用された生野さんの3人しか残っていなかった。

 ちなみに、暴力団の存在をちらつかせて脅したにもかかわらず、従業員たちが逃げ出したこの経験から、松永は相手を逃がさないために“人質”を取ることの重要性を認識したようだ。というのも、それ以降の犯行で彼は子連れの“獲物”に対しては、常に子供を親から引き離し、手元に置くようになったからだ。

 1992年10月、失敗から学んだ教訓と効果的な虐待方法を身に付けた松永は、柳川市から敗走した。

 松永と純子に生野さんを加えた3人で“夜逃げ”したのだ。目指したのは知人が宿を手配した石川県。幌付きの1屯トラックに最低限の荷物を積み、ひっそりと姿を消した。

 資金繰りのために詐欺事件を起こしたことと、手形の不渡りを免れるために信用金庫の支店長を脅迫したことで、松永と純子が指名手配されたことが逃走の原因とされるが、追われたのは警察からだけではなかった。先の記者は言う。

「松永は地元の保険代理店と組んで、車両事故を装った保険金詐欺を企みましたが、その代理店が松永を裏切って暴力団員と組み、松永に追い込みをかけたんです。そのため柳川にいられなくなった」

 銀行から『ワールド』に融資された約9000万円の返済は滞ったまま破綻。松永や純子が消費者金融などから借りたカネも焦げ付かせた。また、松永が甘言を弄して知り合った女たちを騙して借金させ、返すと伝えていたカネも、当然の如く放り出した。

 用意された宿が想像と違うとの理由で、わずか1泊の滞在で石川県から福岡県に戻ってきた松永らは、北九州市を潜伏先とした。しかし1993年1月には、松永の暴力に身の危険を感じた生野さんも逃走するに至る。

 そして松永と純子の2人が残された。潜伏中の身であるため偽名を使いながら、手っ取り早くカネを得る方法は、もはや松永が身に付けていた“特技”しか残されていない。

 それは、女を食いものにするということだった。