文春オンライン

最近は「やり場のない怒り」を感じさせるニュースが流行しているのか

彼らのような存在にならないという保証はあるのか?

2019/06/07
note

 夢ならばどれほど良かったでしょう。

 昨日も若い夫婦が自らの子どもを暴行して虐待死させてしまう悲惨な事件が報じられましたが、高齢者の自動車事故で幸せに包まれていた母娘の命が一瞬で奪われ、慎重に歩いていた子どもたちの群れに無謀な右折車にぶつかった車両が突っ込み、川崎では将来を悲観した通り魔がスクールバス待ちの子どもたちを襲った後に自ら命を絶ち、昭和の役人人生という意味では非常に成功したはずの老人が自らの息子に危険を感じて刺し殺す。

 ほかにもいろいろありますが、高齢者から引きこもりまで、このところやり場のない怒りを感じる不幸な事件や事故が相次いでおります。何といっても、これらの属性のレッテルを貼って「車を運転させるな」「家から出すな」といっても個別の事情があり、同じような状況にある人たちもいっぱいいるなかで「自分がいつ、そういう老人や障害を抱えてしまうか分からない」という日常と隣り合わせなのは事実ですからね。

ADVERTISEMENT

反社会的な人間に貧困や絶望というトリガーが引かれたとき

 また、最近はニュースとして大きく取り上げられるから目立つけど、実際には昔から一定の割合でこのような事件はあったのも事実です。例えば2000年の西鉄バスジャック事件(ネオ麦茶事件)や2008年の秋葉原通り魔事件などでも見受けられる通り、失うもののない人が将来を悲観したり持ち前の衝動性を発揮して殺人に至ってしまう件を総称して「無敵の人」問題とまで言われるようになりました。

©iStock.com

 そして、そういう訳の分からん人たちは私たちと違う世界の存在で、どこか遠くで起きた事件だと割り切ることで、なんとか凄惨な事態を消化してきたわけです。被害者として、または加害者、その親族や関係者として、事件と関わることは無いと安心しつつ悲惨な事件をニュースとして消化することが、一番ストレスがないんですよ。娯楽としての時事ニュースは、議論の喚起であると同時に人の不幸で飯を喰うメディアのお客さんでもあるわけです。

 その一方で、中高年で目下60万人以上いると言われる引きこもりや、仕事も貯金も家族もない人という意味では、西村博之さんが提唱したこの「無敵の人」はけっこう普遍的にいます。身の回りにいっぱいおるでしょ、そういう人たち。そして「無敵の人」といってもちゃんとみんな人間であり、意志があり、日々を暮らしているという。

 そういう彼らが、これからを生きる将来を悲観したからと言って「みんな死んでしまえばいい」と犯行を計画し実行に及ぶ人というのはそれほど多くなく、うっすらと淡い夢を見ながら老いていき、消え去るように現世に別れを告げたいという人のほうが圧倒的に多数なんじゃないかと思うんですよねえ。むしろ「無敵の人」がよろしくないというよりも、反社会的人格の持ち主に貧困や絶望というトリガーが引かれたとき偶発的に不幸な事件が起きるというイメージでしょうか。