昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

source : 週刊文春

genre : エンタメ, 芸能

「先輩にAVを届ける」大阪団地での下積み時代

 山里が住んでいたのは家賃3万5千円の古い団地だった。

「私は滋賀から電車で1時間かけて山ちゃんの家によく行きました。大阪の弁天町は下町で、団地には一応エレベーターはあったけど、『世界一遅いエレベーターなんだよね!』ってツッコんでた。仕事のロケで行った京都のお店がすごく美味しかったから、『今度一緒に行こうよ』って言ってくれたりしたけど、当時はお金がなくて行けずじまい。山ちゃんに『何でも好きなものを買っていいよ』と連れていかれたのは、コンビニです(笑)。それも今ではいい思い出です。

 山ちゃんはお酒が入ると、『おもしろくないヤツに事務所が力を入れている。笑いを舐めていて腹が立つ』と愚痴ったりしてたけど、熱く語る姿がカッコよかった。でも、『オレはネタ以外にもがんばってる。先輩の好みのAVをDVDに編集して届けてる』と言い出したときは、芸人って大変なんだと感じました。

 ある日、寂しくて不安だったのか、『会いたい』とメールが来て、私が部屋に行くと、何をするわけでもなく添い寝するだけ。『手を繋いでいい?』って聞いてきて、軽く手を握り合って、メガネをかけたままの山ちゃんと一緒に朝までいました。その翌日の仕事が上手く行ったみたいで、それから大きな仕事の前夜は決まって添い寝するのが二人のゲン担ぎみたいになっていった(笑)」

©文藝春秋

M-1勝負服は「奈良のスーツ屋さんで作ってもらったんだよ」

 A子さんが今でも一番忘れられないと打ち明けるのは、山里の人生が一瞬で変わった2004年「M-1グランプリ」決勝の前夜だったという。

「M-1の決勝進出が決まり、いつものように決勝前夜に部屋へ行くと、足の踏み場もないくらいメモ帳や物が溢れていて、少し緊張気味の顔だった。以前、TOKIOの『ガチンコ!』(TBS系)という番組に、前のコンビだった『足軽エンペラー』で出演したときの話をしてくれた。『あの番組の漫才企画で優勝して絶対に売れると思ったけど、ダメだった。M-1の決勝は、行けてうれしいけど、今度こそは狙いたい』と。

 それまで私みたいな素人に『ネタの稽古は見せたくない』と言って、仕事の話もあまりしなかった山ちゃんだけど、明日の予選ステージで披露する黒のラメ入りスーツ衣装を見せてくれて、『奈良のスーツ屋さんで作ってもらったんだよ』って、嬉しそうに話していた姿が忘れられません。

 その夜も素顔を見られるのは恥ずかしいからと、いつものようにメガネをかけて添い寝して。夜が明けると、二人で梅田行きのバスに乗り、予選に向かう山ちゃんを『行ってらっしゃーい』と見送ったのが一番の思い出です」

 この年のM-1の決勝戦には、アンタッチャブル、千鳥、麒麟、タカアンドトシ、笑い飯など錚々たる9組が顔を揃え、無名だった南海キャンディーズは大穴的な存在だった。しかし、山里は「このネタがあるから絶対に勝てる」という自信作だった「医者になりたい」というネタを1本目にセレクト。山里のテンポのいいツッコミが大爆笑を呼び、639点を獲得。優勝候補だった1位のアンタッチャブルの673点に次ぐ2位という番狂わせを起こした。

©文藝春秋