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「自分とキャンバスを尺度に」まだ見ぬ世界観を作る画家の自分ルールとは

アートな土曜日

2019/06/22
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 いつだって人はここではないどこか、非日常の「知らない世界」へ遊びに出たいと思っている。ただし、自分の日常を壊したいわけじゃないので、行ってまた戻れる範囲の非日常でないと困る。そうした小さな冒険を求めて、誰しも映画を観たり小説を読んだりゲームをしたり、いろんな作品世界に浸るのである。

 ひととき異世界で遊ぶ体験をするのにうってつけの場がいま、東京・東品川のギャラリーANOMALYに出現している。坂本夏子の個展「迷いの尺度−シグナルたちの星屑に輪郭をさがして」だ。

 

人を画面の中へ引き込んで止まない絵画がある

 坂本夏子は、主に絵画で表現をするアーティスト。テーマやモチーフは作品によりつど変わるものの、どの絵と対面しても画面の奥深くへ、つまりは「ここではない非日常のどこか」へと、ぐいぐい誘い込まれる体験がいつも伴う。

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 彼女の絵は、人物や光景を現物そっくりに写し取るようなタイプのものじゃない。人物や室内の事物が描かれている場合もその姿かたちは漠としているし、画面全体が抽象的な図柄で埋め尽くされているような作品も多い。それなのに、観ていると知らず絵に没入して、まるで夢の中をさ迷う気分になったり、「このまま絵の中から脱け出せなくなるのでは?」との考えがよぎってヒヤリとするのは、本当に不思議だ。

 

 坂本作品が持つ「引力」は、画面に表された空間がいつもどこか歪んで見えることと、何らか関連があるのかもしれない。その歪みから、渦巻く海流かブラックホールみたいな何かが生じて、観る者を引きずり込んでいくのではなかろうか。

 今展の中心的作品たる3枚連なりの《Signals》は、とりわけ人を呑み込む力が強烈だ。落ち着いた色の背景の中で小さい無数の色点が、集まったり孤立したりしながらふわふわ浮いている。ところどころに座標となる地点があり、それらは規則性がありそうでなさそうな線でつながっている。ここは広大な宇宙空間かミクロの人体細胞内か、またはデジタルテクノロジーが生む仮想空間の内部なのか。さっぱりわからぬけれど、独自の法則が支配するひとつの世界が立ち現れていることだけは、はっきり感じ取れるのである。