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79歳“在野の昭和史研究者”保阪正康 妻子持ちの32歳で大学院への道を捨てた日

保阪正康インタビュー #1

2019/06/30

 呉座勇一氏『応仁の乱』、百田尚樹氏『日本国紀』などを皮切りに、歴史本ブームは続いています。著書『昭和の怪物』シリーズは累計22万部、昭和史研究の第一人者である保阪正康さんは、こうしたブームやそれぞれの立場が持つ歴史観についてどう考えるのか。非アカデミズムの立場だからこそできる、歴史との向き合い方、付き合い方とは? 聞き手は近現代史研究者の辻田真佐憲さんです。(全3回の1回目/#2#3へ続く)

保阪正康さん

はじめから昭和史ということを考えていたわけじゃない

――国会図書館のサイトで保阪さんの著作を検索しますと、単著、共著、文庫化などを含めて314件もヒットしました。単著だけで100冊以上、その多さにあらためて驚きました。しかも医療問題から会社研究まで幅広い。ジャーナリスティックな手法で、なぜとりわけ昭和史についての取材と執筆を続けてきたのか、伺えたらと思います。

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保阪 それはまた単純な話なんです。昭和45(1970)年11月25日、三島由紀夫が割腹自殺をした事件がありましたね。その時に、「ともに死なう」と三島が自衛隊員に呼びかけている檄文を読みました。ともに死のう、ということです。

 それを読んで「昔、そういえば『死のう団事件』ってあったな」と思い出した。国会図書館へ行って調べたら、本が書かれていない。じゃあ僕が調べて本にしようと思ったんですね。当時の資料を丹念に調べ、生存者を探して取材した結果が最初の本になりました(『死なう団事件』)。だから、はじめから昭和史ということを考えていたわけじゃないんです。

 

――「死のう団事件」とは、1937年2月17日に「死のう、死のう」と声をあげながら、「日蓮会殉教衆青年党」メンバー5人が、国会議事堂の前や皇居前広場などで割腹自殺を図った事件ですね。

保阪 そうです。『死なう団事件』を出版した版元の社長が、「松本清張さんの推薦文をもらおうと思ってゲラをわたしている」と言う。しかし面識がないから「保阪君、知らないか?」と。結局、文藝春秋の担当編集者に依頼したわけですが、松本さんが推薦文を書いてくださった。「新進気鋭の記録者として、今後の活躍を期待できる人だ」というんですね。

 僕はそれを読んで、「よし、それなら記録作家になろう。『者』を『作家』にしてやろう」と考えました。僕は、二・二六事件を取材調査した松本さんのように実証的な仕事をやろうと思ったんです。1回だけ、松本さんのところへ挨拶に行きました。「ああ、そう」という感じで多くは語らなかったけれども、僕はその推薦文がすごく嬉しかった。

自伝的著書『保阪正康 歴史を見つめて』と『風来記 わが昭和史(2) 雄飛の巻』

 そこからですよ。「年表の一行を一冊の本に」という構想を持って、小説じゃなくてノンフィクションで書こうと思ったんです。アカデミズムの世界にいる学者がやっていないようなこと。なるべく多くの人に会って、話を聞いて。「聞き書き」によって歴史を補完していこうと。