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若手の「駿太」から大人の「後藤」に オリックス・後藤駿太の顔つきが変わった瞬間

文春野球コラム ペナントレース2019

2019/07/27
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 最近の大学の「夏」は長くなった。文科省の様々な「改革」のおかげで、甞ては事実上、7月早々に終わっていた大学の「前期」は、いつしか7月末まで続くのが当たり前になり、大学によっては8月にまでもつれ込むところも少なくなったからである。ただでさえ蒸し暑い日本の夏、35度を超える日も少なくない中、教員も学生も汗を流しながらキャンパスへと続く長い坂を登る。とはいえ夏休みまであと少し。前期試験を終えれば、大学生の特権ともいえる長い夏休みだ。

 とはいえそれでもこの夏休みは大学生にとって落とし穴にもなる時期である。とりわけ今年大学に入学した1年生にとっては、この長い休みをどう使うかは難しい。振り返れば昨年の夏は、まだ大学受験の為に夏期講習等に通い合格を夢見て努力して努力していた筈だ。そこには目標があり、その実現の為に多くの人が「道」を示していてくれたはずだ。

 誰もが同じ目標を持ち、共に努力する。しかし、受験生の時にあった様な環境は大学に入った後にはない。何故なら、大学では各々の学生が持つ目標はバラバラであり、各自が自らの目標を見つけて、それを実現する為の道筋を自分で見つけて行かなければならないからだ。

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 そして大変なのは殆どの人にとって、この作業で進むべき目標を「与えてくれる人」がいない事だ。勿論、両親や先輩、先生など、良き「アドバイザー」を見つけられる幸運な人もいるだろう。それでも「アドバイザー」にできる事は、「アドバイス」することまでだ。だから、最終的に自分が進むべき道は自分で決めなければならない。何故ならアドバイザーには皆さんがある道を選んだ結果のリスクを取る事まではできないからである。そしてこの夏休みはそんな自分の目標に向けて利用できる、4回しかない最初の期間になるのである。

 でもそんな夏休みを終えた後、学生は気づくかもしれない。うん、この休みをうまく使えたな。自分の事を自分で決めるというのは、こういうことだったんだ。そう、自分はもう大人になったんだな、と。

 だからこそ、そんな学生を見守る人たちも、その選択をハラハラしながら見守っている。でも学生は幾度か失敗を繰り返しながら、やがては「何者か」になっていく。そしてそんな学生を見ている人たちもまた思う。そうかこの子はもう大人になったんだ、一人で生きて行けるようになったんだ、と。そしてきっと、そんな彼らの成長を黙って見守るのも、また彼らを大人として信頼する、という事なのである。

オリックスで「甞てとは変わった雰囲気」を伴うようになった選手

 さて、プロ野球選手もまた、そんな学生たち、つまり、大学生や大学院生たちと同じ年頃に属している。そしてその事は、我々ファンもまた、選手たちが肉体的のみならず、人間的にもたくましい大人に育っていくのを、目撃している事を意味している。だからファンも時々思う。あれっ、この選手、ちょっと前まで子供子供していたのに、いつの間にか、しっかりしているじゃないか。勿論、遠いスタンドから見ているだけのファンだから、その観察がどの程度当たっているのかはわからない。でも、選手たちがいつしか、甞てとは違った落ち着いた雰囲気をまとうように、変わっていくのはある程度感じ取る事はできる。

 そして、今年のオリックスの試合を見ていて、最も「甞てとは変わった雰囲気」をまとうようになった選手を一人挙げろ、と言われれば、筆者は躊躇なく後藤駿太選手を挙げる。周知のように2010年のドラフトで異例の「外れ外れ外れ1位」で指名された後藤選手は、当時のチームに同姓の後藤光尊選手がいたために、「駿太」という名前で登録された。「駿太」は、入団当初から、高校日本代表として選ばれて参加した日米野球でも絶賛された守備力で注目され、2011年シーズンの開幕戦では、1959年の張本勲選手以来の高卒新人外野手としての出場を果たしている。

 そしてだからこそ、オリックスファンにとって長い間、「駿太」は希望の星であり、また最も人気を集める若手選手だった。練習熱心でひたむきな性格と「そこそこイケメン」のルックスは、多くの女性ファンの視線を集め、シーズン初めには毎年の様に「最も期待される若手選手」として名が挙げられてきた。キャンプでは監督や打撃コーチがつきっきりになって、彼の弱点である打撃指導に当たるシーンも頻繁に見られ、チーム内での彼に対する期待の大きさがうかがわれた。

 とはいえ、その後の「駿太」の成績は伸び悩んだ。キャリアハイの成績を上げたのは2014年の127試合、打率.280、5本塁打、30打点。一時はレギュラーの座を確固たるものとしたかと思われたが、成績はその後下降を続けた。2018年には心機一転、登録名を「後藤」に代えてシーズンに臨んだものの僅か出場33試合、オフにはトレード要員として名が上がられる状態になっていた。今年の春のキャンプでも最早首脳陣がつきっきりで彼を指導する姿は見られなくなり、甞ては大きかったチーム内での彼への期待が小さくなったのはスタンドからでも容易に感じる事ができた。

 駿太、一体どうなるんだろう。

「甞てとは変わった雰囲気」を伴うようになった後藤駿太
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