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名古屋教育虐待殺人事件「中学受験で息子を殺された母親の無念」

「被告人もその父親から刃物を向けられていた」裁判傍聴記#2

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 2016年8月21日名古屋で12歳の中学受験生・佐竹崚太くんが父親に包丁で胸を刺され死亡した事件で、2019年7月19日名古屋地方裁判所は、父親の佐竹憲吾被告(51)に殺人の罪で懲役13年の実刑判決を言い渡した。

 #1に続き、どういう経緯で教育虐待が生じ、最悪の結末を迎えたのかを考察する。まずは被告の妻Mさんの証言から紹介していく。

名古屋地方裁判所

「夫が鍵を開ける音が怖かった」

 佐竹被告と妻Mさんはアルバイト先の飲食店で知り合い、結婚した。Mさんの証言によれば、職場での佐竹被告はまじめで思いやりのある性格。結婚してからも、そして崚太君が生まれてからも、暴力的なそぶりは見せていなかった。しかし崚太君が中学受験塾に通い始めたころから、次第に暴言、暴力、威嚇行為が始まり、エスカレートしていった。

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 止めに入ろうとしても「中学受験をしたこともねえヤツがガタガタ言うんじゃねぇ」とキレられて取りつく島がなかった。2019年5月(犯行の約3カ月前)以降は佐竹被告に完全に無視されるようになった。「寄生虫、とっとと出て行け」と言われたこともある。以下、2019年6月24日検察側の証人としての発言の一部。Mさんはすでに佐竹被告と離婚している。

検察:事件当日の2016年8月21日、朝は何時に起きましたか?
M:いつも5時に起きます。洗濯をして朝食を用意して、崚太を起こしに行きました。
検察:それは何時ごろでしたか?
M:はっきり覚えていません。崚太はなかなか起きなくて、足の裏をくすぐって、それが最後です。崚太は「やめて」と言ってぜんぜん起きようとしませんでした。
検察:そのあと事件が起きたんですね。
M:警察から連絡があって「確認してほしいものがある」と言われて自宅に入りました。
検察:何を見ましたか?
M:リビングに落ちていた包丁、ケース。
検察:それを見て何を思いましたか?
M:崚太に早く会いたかったので、なんとも思わなかった。あとから考えれば、そこは、小さいころから崚太がよく逃げていたところでした。
検察:落ちていた包丁はあなたが料理で使う包丁でしたか?
M:見たことのない包丁でした。
検察:崚太君の部屋は見ましたか?
M:はい。机の右のサイドテーブルに大きく削られたあとがありました。ノートやプリントは刃物で細かく切られたあとだらけになっていました。
検察:あなたは崚太君の中学受験に賛成でしたか?
M:反対でした。
検察:被告人は帰宅してから何時くらいまで崚太君に勉強を教えていたのですか?
M:夜中の12時すぎとか、1時半とか。
検察:体力的にバテたりしませんでしたか?
M:絶対寝不足だったと思っていました。
検察:そんな状態では勉強の態度にも影響が出るのではないですか?
M:出ると思います。それであのひと(佐竹被告)はモノに当たったり、モノを投げたりしていました。
検察:崚太君は勉強したがっていましたか?
M:崚太は靴箱の中にお手玉を隠して、あのひとがいないときはそれで遊んだりしていました。2人でいるときはいっしょにゲームをしたりしました。でもときどきあのひとから電話がかかってきて勉強していない様子を察すると、「ふざけんな!」と怒鳴られました。あのひとがいると本当の崚太でも私でもなくなってしまいます。帰ってきてほしくなかった。崚太と2人だけでいるときはいつも笑ってるし楽しかった。あのひとが帰ってきて、鍵の音がガチャって鳴ると、動きが止まって、何もなかったかのように空気が張り詰めて。