メソポタミア文明が誕生した巨大湿地帯に、豪傑たちが逃げ込んで暮らした“梁山泊”があった! 辺境作家・高野秀行氏は、ティグリス川とユーフラテス川の合流地点にあるこの湿地帯(アフワール)を次なる旅の目的地と定め、混沌としたイラクの地へと向かった。
現在、「オール讀物」で連載中の「イラク水滸伝」では書き切れなかった「もう一つの物語」を写真と動画を交えて伝えていきたい。
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イラクの湿地帯のうち、特にティグリス川とユーフラテス川にはさまれた中央湿地帯と、ユーフラテス川の南に広がる南部湿地帯(ハンマール湿地とも呼ばれる)は、5000年以上前の古代メソポタミア(シュメール)文明の伝統を今でも受け継いでいる。
その最たるものが葦の家だ。
遺跡のレリーフには、現在と造りがほぼ同じ「葦の家」が
湿地を移動しながら暮らす人々(湿地民)は今でも葦で作ったドーム状の家に住んでいる。
ウルク遺跡で出土した「石灰岩製水桶」に描かれたレリーフ。右側が「葦の家」。現在とほとんど造りが同じである。
イラクでは、裕福な人や部族長は「ムディーフ」と呼ばれるゲストハウスを所有し、そこが知人友人あるいは氏族(部族)の集会所となっている。湿地帯の町チバーイシュでは、そのムディーフも葦で作られている。中にはこのような豪華ムディーフもある。入口にサッシの扉がとりつけられているのは盗難を恐れて鍵をつけたかったから。
中に入ると、結婚披露宴が行えるほどの広さとゴージャスさ。ファンや電灯、コンクリートと絨毯の床は現代式だが、それ以外は葦しか使用していない。