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父親は地元で頼られる名士だった

 藤木は逃走現場となった実家で生まれ育ち、中学卒業後は地元の私立高校の機械科に進学。同級生が語る。

「高校では空手部で、兄貴肌ではあったけど悪いことをするような奴ではなかった。20代前半の頃に熊本市内の繁華街で会った時は『野田事務所にいる』と言っていました。父親が後援会に関わっていた関係で秘書になったと聞いています」

 消防士だった父は、地元で頼られる名士だった。

「人望が厚く、地域の防犯協会や社会福祉協議会の会長に就いていました。また柴犬が好きで、長年、日本犬保存会の支部長も務めています」(近隣住民)

 藤木は野田事務所をいったん辞めており、商事会社勤務や建設会社経営者の運転手を経験。その後、再び事務所に出戻っていた。

「一時、野田氏が東京で借りたマンションにも住んでいました」(後援会関係者)

熊本東署に入る藤木容疑者

自民党の地元秘書にありがちな“チャラついた男”

 秘書時代の藤木は「真面目で、言われた仕事はきちんとやっていた」(野田事務所の秘書)というが、東京で遊び歩く姿も目撃されていた。クラブイベント関係者が語る。

「藤木は2010年ぐらいから渋谷のクラブのヒップホップイベントに顔を出しています。議員秘書という肩書もあり、芸能人などにも人脈を広げていました」

 熊本に戻ってからも、夜の世界にはまっていた。

「自民党の地元秘書にありがちな、少しワルぶってチャラついた男でした。キャバクラで飲み歩き、女の子に『バツイチです』とアピールしていた。野田事務所は待遇がよく、地元企業の経営者たちとの飲み会も多い。人脈を作って、将来は政治の道も志していたと思います」(前出・秘書仲間)

 だが15年に逮捕されてからは、「熊本市内の飲み屋では一切見かけなくなった」(飲食店関係者)という。16年の熊本地震の後は、仲間と共同経営で土木業や解体業を営んでいた。

「父親は息子が逮捕された後、地域の役職から退いたが、執行猶予期間が終わったので徐々に復帰していた矢先に今回の事件が起きた。父親も不肖の息子を嘆いているようで、近所の人はみんな『親父の築いたものを壊して、バカタレ』と言っている」(前出・近隣住民)

 逃げるは一族の恥で、何の役にも立たない。

出典元

ジャニー喜多川 審美眼と「性的虐待」

2019年7月25日号

2019年7月18日 発売

定価420円(税込)

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