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「あの瞬間から記憶がないんです」 野村祐輔が語った8・22甲子園決勝

文春野球コラム ペナントレース2019

2019/08/22
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 球児の夏は早い。彼らが紡いだ白球ドラマの余韻に浸る間もなく、甲子園の浜風は涙や汗や黒土を8月22日の決勝戦に集約していく。

 今日8月22日――。この日付を今でも忘れ得ぬ選手が広島カープにいる。『奇跡の逆転満塁本塁打被弾で涙に暮れたエース』広島・広陵高の野村祐輔だ。彼は“悲劇の投手”として甲子園に名を刻む球児となった。しかし彼は「あの一球があったから今の自分がある」と語る。そこにはどんな人生訓があったのか? かつて番組(「鯉のはなシアター」:広島ホームテレビ)で取材したメモを元に野村祐輔の『あの日』を再現してみたい。

広陵高校時代の野村祐輔 ©文藝春秋

その瞬間から記憶がなくなったんです……

 甲子園史上初の決勝戦での逆転満塁ホームラン。それを味わったのが野村祐輔(広島)と小林誠司(巨人)のバッテリーを擁した広陵だった。

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 12年前の今日、8月22日――。野村は5万人が見守る灼熱のマウンドに立っていた。8回表を終えて4―0。この日の野村は、序盤こそやや制球を乱したが、回を重ねるごとに得意のスライダーはキレを増し調子を上げていった。7回を終えた時点で10奪三振、被安打はわずか1。残すアウトは6つ。広陵応援団、いや観衆の大部分が広陵の勝利を確信していただろう。

 

 しかし、その夏『がばい旋風』を巻き起こし、無名の公立高校ながら決勝まで駒を進めてきた佐賀北高ナインの目は未だ活気に満ちており、ゆっくりと甲子園の魔物を揺り起こしていくのだった。

 8回裏。野村は先頭打者を三振に打ち取るも、その後2連打を浴びて1死1、2塁。この試合初めてピンチを背負った。続く打者には、3球目に投じた低めのスライダー以外は制球が乱れ、フォアボール。1死満塁となった野村・小林のバッテリーは、先ほど投じたスライダー、その日の『最良の球』に望みを託した。そして続く打者。3ボール1ストライクから投じた最良のスライダーは、小林のミットを寸分も動かさず収まったが、判定はボール。スポーツにおいて審判の判定は絶対であり、それは間違いなく『ボール』であっただろう。しかし、この判定は翌日のメディアでも物議を醸したほど紙一重であった。押し出しで1点を献上したその瞬間、キャッチャー小林はミットを叩きつけて悔しがり、野村は日頃から「試合中、困ったことがあれば俺の方を見ろ」と言っていた、広陵・中井監督の顔を、その夏、初めて見たのだった。

 

 いつしか5万人の大観衆は、広陵関係者のいるアルプスの一角を除き、快進撃を続けて来た佐賀北を後押しする大応援団へと変貌を遂げていた。

 18歳の野村の背中に降り注ぐ異様なムードに包まれた5万人の歓声……。
そしてそれは、心と制球が乱れた野村が、次の打者に投じた3球目だった……。
高らかな金属音とともに高く舞い上がった白球……。
それは史上初となる決勝戦での逆転満塁ホームランだった。

 

 野村祐輔は語った。「頭が真っ白で。実は、そこからの記憶はないんです。打たれたのは8回裏ですよね? ワンアウトですよね? その後2つアウトを取っているんですけど、どうやって取ったか覚えていないんですよ」と。

 野村が記憶を取り戻したのは、次に回ってきた自分の打席。奇しくもそれは、9回ツーアウト、最後のバッターだった。結果は三振でゲームセット。広陵と野村の夏は、佐賀北が起こした奇跡と共に終わったのだった。

 
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