昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

米軍装甲車に轢かれた女子中学生

 一方で、彼らが拠り所とする“オリジナル”の慰安婦像をめぐっては、日本の官邸関係者も注目する「ある噂」がある。

「あの慰安婦像はもともと、慰安婦とは全く関係ない、事故で亡くなった少女をモデルにした像を転用したものだというネット情報です」(別の官邸関係者)

 確かにネットを検索すると、〈慰安婦像のモデルは、02年6月13日、韓国北部の楊州市で、米軍の装甲車に轢かれて死亡した2人の女子中学生の一人〉とする情報が流布している。

 実際、月刊誌「WiLL」17年10月号は、「『慰安婦像』のモデルは米軍犠牲者の少女だった」と題して、被害者の一人、沈美善(シムミソン)さんと慰安婦像の写真を並べて掲載した。

慰安婦像のモデル説のある沈美善さん(「オーマイニュース」より)
 

 噂は真実なのか。

 ソウル市内から車で60分強。事故現場の脇に建てられた追悼碑には2人の少女を悼む詩がハングルと英語で刻まれている。

 美善さんの自宅を訪ねると、父の沈洙輔(スボ)氏が穏やかな笑顔で迎え入れてくれた。

「言われてみれば似ている」父は言った

「事故自体は悔やんでも悔やみきれませんが、仕方がありません」

 慰安婦像のモデル説については「初めて聞きました」と言う。ところが、美善さんの遺影と慰安婦像が対比された「WiLL」の記事を手渡すと、「言われてみれば似ている。この記事をもらえませんか?」と目を細めて、こう続けた。

「まさか、美善と結びつくような話があるとは思いませんでした。本当に美善が少女像のモデルなら不愉快です。純粋な子どもに起こった事故を政治的な活動に利用しているということですから……」

金夫妻も関わった事故の追悼碑

 では、製作者はどう答えるのか。“オリジナル”の製作者は、彫刻家の金運成(キムウンソン)、ソギョン夫妻だ。今年6月、像のモデルについて彼らが答えた韓国紙のインタビューにはこうある。

〈最も長い時間をかけた工程は少女像の顔だった。犠牲になった数々の少女たちの悲しみ、怒りを込めなければならなかったし、(略)一人の顔のモデルで作ることはできなかった〉

 一方で、金夫妻は親北朝鮮団体「民族美術家協会」と関係が深く、反米活動に関わってきた。夫妻の知人が言う。

「彼らは、米軍の事故で亡くなった2人の少女たちの追悼碑の製作にも携わったそうです。夫妻はこれまで“オリジナル”をもとに国内向けに60体以上、海外向けにも8体の像を製作してきたそうですが、そのルーツが反米の象徴だったとなれば、おかしな話になる。仮に事実であってもいまさら認めることはできないでしょうが……」

 記者は、真相を確かめるべくソウル近郊にある金夫妻の工房に向かった。

金夫妻の工房

 黒いビニールハウスの工房入口には鍵がかけられており、その脇には4体の人型の銅像が無造作に置かれ不気味な雰囲気を醸し出している。よく見ると、そのうちの一体は慰安婦像のようだ。

 工房の隣に建つ古民家を訪ねると、丸メガネをかけた女性が現れた。妻の金ソギョン氏だ。来意を告げると、「ちょっと待って」と家の中へ姿を消した。しばらくすると、夫の金運成氏が現れた。

「取材には応じられません。今まで日本のマスコミには、私が話したことと全く違う内容を報じられてしまいました。ですから信じていないのです。ただ私たちは日本を悪く見ているわけではありません。私たちはただ慰安婦の話を広めたいだけなのです」

 そう言い残すと、モデルについての質問をする間もなく自宅に入り、二度とドアを開けることはなかった。