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「3・1独立運動」の新資料を発見! 100年目に明かされた日韓の“不都合な真実”とは?

「不逞鮮人が、鮮人の特性である性情を利用し……」

2019/08/11

「偶然は誤解の始まり」とはたしか丸谷才一の「女ざかり」の一節だったと思うのだが、「文藝春秋」9月号「新資料が明かす『3・1運動』の不都合な真実」に紹介した資料との出会いには偶然とは割り切れない思いがある。

 今年の2月27日、東京の国立公文書館でのことだった。午前の調査を終え、東京駅の売店で買ったおにぎり弁当で昼食をすませ閲覧室に戻ると、「あらーワタナベさん」と静寂の空間に不釣り合いな音量で呼びかけられた。旧知の中国人の歴史研究者で、久しぶりの再会だった。

 昼食を取った休憩室に戻り話し込んだ。中国でも有名な大学の教授になり、日本研究センターの所長をしているなどと彼は話してくれた。私も近況を説明した。足かけ40年にわたった新聞記者暮らしに前年末で終止符を打ったことを告げると、彼の目の色が変わった。

「それなら時間ができましたよね」

「3・1独立運動」100周年の式典で演説する文在寅大統領 ©共同通信社

内田康哉外相から原敬首相にあてた文書を発見

 そこから「中国に来てくれ」との誘いが始まった。大学院生に日本語の書き言葉や日本文化を指導できる教員がいなくて困っているという。「いつからなら可能ですか」「待遇で希望はありますか」と矢継ぎ早。

「糖尿病があるので」をはじめいろいろと理由をつけて固辞したのだが、「半年でも構わない」など実に粘り強い。納得してもらうのに2時間以上もかかってしまった。

 ようやく閲覧室に戻ると、閉館までの時間は残り少なくなっていた。予定した調査は諦めたが、帰るのはもったいない。そこで気になっていた大正8(1919)年の内書記官室の文書綴りをのぞいてみた。日本統治下の朝鮮で起きた3・1独立運動の100周年の記念日が、2日後に迫っていた。

 そこでめぐり会ったのが、「朝鮮騒擾事件ニ対スル鮮人ノ言説ニ関スル件」。外相内田康哉から首相原敬にあてた文書で、冒頭に花押があり、スマホで調べると原敬のものだった。