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京アニ放火殺人事件 なぜ「原画サーバー」は奇跡的に焼失を免れたのか?

“火災調査のプロ”元東京消防庁防災部長が注目した1枚の写真

2019/08/14

謎を解く手がかりとなる1枚の写真

 長年火災調査に携わってきた元東京消防庁防災部長の伊藤克巳氏は「高温の火はさほど長い時間は続かなかった」とみる。手がかりは火災後に撮影した1枚の写真だ。

2階西側(裏側) ©広野真嗣

「今回の火災は気化したガソリンが火の玉になって3階層の建物中に一瞬で広がったと見られます。よく燃えている屋内階段に近い2階の窓に着目すると、ガラスは割れ、アルミ製らしきサッシ枠が焦げている。ただよく見るとそのアルミの枠は溶け落ちるに至ることはなく、残っていることがわかります。アルミは融点が660度なので、仮に高温の炎に10分間も煽られると完全に溶け落ちる性質がある。サッシ枠が残っているという事実からすると、そこまでの高温に長く晒されずに済んだと見受けます」

 確かにほかの窓に目を移して見ても、3階の一部を除きほとんどの窓枠は残っている。

「こうした状態を総合的に見ますと、消防隊が到着した時点で内部から炎は猛烈に出たとはいえ、ガソリンを材料とした高温の炎は長く持続はしなかったのではないでしょうか。

煙を上げる「京都アニメーション」第1スタジオ。付近には台車(丸印)が置かれていた ©共同通信社

 一般の家庭でも燃えやすいものが多いとこうしたアルミ枠の上から3分の1ほどの部分が溶け落ちることが少なくありませんが、今回は多くの窓でアルミ枠が残っている。ピークの炎が続いたのは出火から10分間ほどで、その後は勢いが衰えたということが推認されます」(伊藤氏)

 多くの犠牲者を一瞬で一酸化炭素中毒に陥れた猛煙は、現場に駆けつけた消防隊員を容易には近づけさせず、早期救出の可能性を奪った。そして間もなく、燃やし尽くす材料や空気を失い火勢を落としたというのだ。

高熱の火の玉と気体は上層部に向かう

 さらに室内の位置も重要だと伊藤氏は続ける。

「高熱の火の玉と気体は同じ室内でも上層部に向かいます。そこで部屋の上の方にあるものを輻射熱で焼きますが、焼け落ちた後は室内の空気が足りなくなり、その落下した残渣物よりも下にあるものはそれ以上に温度が上がることはなく焼損を免れやすい」(同前)

 サーバーがどの部屋のどの位置にあったかは不明だが、こうした複合的な要素が積み重なって、幸運にもデータを回収できるほどの状態で残されたというのである。