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「焼夷弾が人の顔を半分に……」伊東四朗82歳が語った74年前の空襲体験

半藤一利と伊東四朗、下町で育った2人が回顧する太平洋戦争

「私は小学5年生でした。霜でびっしりのものすごく寒い朝でね、家族で食卓を囲んでいたら、午前7時のニュースが始まったとたん、『しばらくお待ちください』とアナウンスがあった。あれっ、ニュースなのに珍しいなと思っていたら、『臨時ニュースを申し上げます』という言葉に続いて、『大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり』と来た」

 太平洋戦争開戦をそう振り返るのは、作家の半藤一利氏だ。

太平洋戦争の開戦時、伊東四朗さんは4歳、半藤一利さんは11歳だった ©文藝春秋

ともに東京の下町で育った2人

 8月15日で、日本は戦後74年を迎えた。

 300万人を超える死者を出した太平洋戦争――戦前に生まれた世代はすでに70~80代以上となり、戦争体験者の数は年々減り続けている。

 今回は終戦企画として、喜劇役者の伊東四朗氏と半藤氏に、自身の戦争の記憶について語り合ってもらった。

 伊東氏は1937年生まれ。父親は洋服の仕立て職人で、幼少期を東京市下谷区竹町(現・台東区台東)で過ごした。一方の半藤氏は1930年生まれ。父親は運送業を営み、幼少期は東京市向島区吾嬬町(現・墨田区八広)で過ごした。

 2人の地元である下谷区と向島区は、墨田川を挟む同じ地域にあった。どちらも東京の下町と呼ばれるエリアだ。当時、子供たちの間ではベーゴマやメンコ、戦争ごっこと鬼ごっこをあわせた「駆逐水雷」などが流行っていた。

半藤一利氏 ©文藝春秋

 下町育ちという共通点を持つ2人は、開戦時はそれぞれ4歳と11歳。戦争の色が次第に濃くなっていく社会の中での、周囲の大人たちの様子をこう振り返る。

「あかん。あかん」と繰り返していた父親

半藤 私の親父は変わり者で、開戦初日から「馬鹿なことを始めやがって」と毒づいていました。私の顔を見て「坊の人生もあんまり長くねぇな」なんて言い放ったりしたもんだから、母親が「そんなこと大きな声で言うんじゃないの!」と慌ててました。でも大酒呑みなもんだから、酒を飲むたびに「あかん、あかん。これでおしまい」と繰り返していた。

伊東 酔って気が大きくなって(笑)。