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二岡智宏監督に会いに富山へ 野球好きの少年がそこにいた

文春野球コラム ペナントレース2019

2019/09/05
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 高岡の駅に着くとドラえもんのモニュメントが迎えてくれた。藤子・F・不二雄さんの出身地、1933年(昭和8年)に高岡に誕生されたそうだ。ギャラリーもあるとか。タイミングよく、ドラえもんデザインの市電も走って来た。富山に到着して少し緊張していた私の気持ちをドラえもんと仲間たちが和らげてくれた。そうなのです、二岡智宏さんに会う時はいつもちょっと緊張するのです。

ドラえもんのモニュメント ©斉藤こずゑ

 現役の頃は一度も直接話をしたことはない。2009年のトレードでジャイアンツからファイターズに移籍したばかりの頃の二岡選手は私にとっては近寄りがたい存在で、そのオーラは「話しかけないで」という合図にも当時は感じた。

 2013年の引退後、ジャイアンツの国際部に所属しながら野球解説者もされていた時に、初めてラジオの放送上で話をした。何か言葉を間違えれば機嫌を損なうのではと気を張った。やっぱりうまく話がかみ合わなかった。でも、後で聞けば、あちらもラジオ独特の互いに顔が見えない放送席とスタジオとの掛け合いに戸惑っていたそうだ。

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 その後、数をこなし、今ではお互いの会話の雰囲気に慣れてそんなことはなくなったけれど、ファーストインプレッションというのは強烈なもので、会う度に最初はピシッと緊張する。

自分のことは自分で 二岡監督の富山での生活

 その二岡さんが富山に行くという。知ったのは去年の秋の終わり。昨シーズン限りでジャイアンツのコーチを退任されたので、また解説やトークショーで御一緒出来るかと思っていたのに富山に行くという。聞けば、国際部の頃にBCリーグを視察する機会もあってその頃から興味を持っていたとか。そして、さらにその後の3年のコーチ経験で指導する楽しみを知り、チーム全体を統括してみたいという思いも大きくなったそうだ。独立リーグはスタッフも少ないので、監督となればチーム全体を見ることになる。自らBCリーグに連絡を取り、一人で富山に足を運び、施設を見学し、決断。富山GRNサンダーバーズの二岡智宏監督の誕生。

 監督と言ってもマネージャーが付くわけもなく自分のことは選手と同じように自分でやらなければならない。練習から一人何役もこなし、試合中は一塁に三塁にコーチャーにつく。ベンチにいる暇はない。ほぼ初めての一人暮らしも高岡市で始めている。後片付けが面倒という理由で手を出さなかった夜の自炊も、この頃では楽しんでいるとスマホの画像を見せてくれた。パスタに餃子、サラダに汁物まで。冷凍品もお惣菜もきちんと別皿に盛りなおしてあるのが素晴らしい。奥様に報告するために時々撮影しているそうだ。因みにランチはほとんどコンビニのおにぎり。グラウンドに行く途中で買っていく。好きな具は1位から、明太子・梅・鮭。「野球人生で一番質素なお昼ご飯」と笑う。

 ずっと行きたいと思っていたけれど、なかなかスケジュールが合わず、シーズンギリギリのところで今回やっと富山に行くことが出来た。私が行った9月1日(日)は県営富山野球場で試合、相手は石川ミリオンスターズ。監督は元・ファイターズ投手の武田勝さん。現役のころから二岡さんと勝さんは仲が良く、この日もツーショットをお願いしたらスペシャルな一枚を戴けた。この2チームの試合は、監督同士のじゃれあいもファンの楽しみのひとつ。試合前のメンバー表交換だって見逃せない。

試合前にじゃれあう二岡智宏さんと武田勝さん ©斉藤こずゑ

 BCリーグは全国的にはどうしても監督が一番の有名人となる。チームの収入になるグッズの売り上げもダントツだそうで、こんなタオルまで作られている。因みに福井のミラクルエレファンツの田中雅彦監督は二岡監督の近畿大学の後輩。野球界はこんな風にいろいろ繋がっています。

監督タオル 一緒に持っているのは北陸放送の谷川恵一アナウンサー ©斉藤こずゑ
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