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2019/09/09

偶然に失恋の時期が重なって

「出馬を決心する前に一番悩んだのは、5歳の息子のことでした。秋田県って広くて、週に何回か外泊しないと効率的に挨拶回りができない。選挙前は、平日国会で働く夫が東京で面倒を見て、私が選挙区を歩き、週末だけ秋田で一緒に過ごす。公示後は(秋田県内の)いとこに預けて、夕方に夫が迎えに行って、私の宿泊先に連れてくる。夜は家族一緒に過ごすという状態で17日間を乗り切りました」

 寺田が「名門」に嫁いだのは10年前。夫との出会いはさらに6年さかのぼる。

 03年、ハワイ留学から一時帰国した際に郷里から初出馬した夫の衆院選を手伝った。もともと親同士が知り合いだった縁で、夫の秘書にも就いた。長い間交際する恋人がお互いに存在したが偶然に失恋の時期が重なり、やがて2人は――。

「私は当時34歳。夫から唐突に結婚を迫られました。2人とも30過ぎた“残りもの”でしたから。価値観はわかる、趣味は似ている、墓の場所も同じ……」

 世に言う「代議士の妻」になるというよりも、友人の延長という感覚で嫁いだ。

 だが昨年末、野党のベテラン県議から参院選への出馬を打診された。本命視されていた人物が固辞したため、お鉢が回ってきたのだ。

寺田氏は今年6歳になる息子を抱いて ©共同通信社

「また『寺田家』かー」

「夫婦で議員はありえない」

「小娘に何ができるんだ」

 そんな批判が出ることは目に見える。寺田はある夜、夫に相談し、こう言われた。

「あまりに重いことだから、オレからはやれとも、やるなとも言えない。自分で考えて決めたほうがいい」

 寺田は2カ月近く悩んだ末、40歳の自民現職と対決する道を選んだ。陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の県内配備計画に対し、真正面から反対を掲げると、まさかの大接戦に持ち込んだ。

 自民党は1人区の秋田県に安倍、菅、小泉という看板弁士を次々と投入し、絨毯爆撃のように攻め上げた。

 その激しさに驚いた夫は自身のSNSにこう綴った。

〈秋田で閣議でもやるんかい。ほぼイジメに近いすわ〉

「寺田家の嫁」では終わらない

 一方の寺田は選挙中、これまでにない女性政治家像を打ち出すことに成功した。

 蓮舫や三原じゅん子のような「叫ぶ女」ではなく、「静」という名前の通り、政治に懸ける思いを冷静に伝え続けた。

「夫からは『叫ぶより、あなたの柔らかい人間性が伝わるように話したほうがいい』と言われました」

 彼女は飾り気のない普通の言葉を使う。少女時代の貧困や不登校、19歳で“植物状態”になった弟の介護、30代までかかった奨学金返済……。現代人に共通する自らの不幸な過去をさらけ出した上で、けなげにこう訴えた。

「かつて困難の中にあった1人として、様々な偶然が重なって今恵まれた状況に置かれ、声を上げられるようになった1人として、人のために役立てるようにお力を貸してください」

 決してうまい演説ではないが、雪国の人々の心に響いた。寺田の演説はネットに投稿するたび、閲覧数が軒並み1万回を超えた。大病と闘う母を看病した経験を持つ筆者も、その動画を観て思わず涙がこぼれた。

 寺田は2万票差で自民党の現職を倒した。夫や義父とは距離があった層にも支持を広げた。彼女は「寺田家の嫁」ではなく、1人の選良に化けた。